八景山古墳群の殆どをみてきたつもりだ。周回道路が上にあるので道に戻ろうとして振り返ってみるとあちこちに墳丘を見ることが出来る。
破壊された古墳の痕跡であろう。加工された痕跡を持つ石があった。
もう少し古墳らしさを知らしめるような造り方はなかったのか。壊すより残すことだけを考えたのか。
というような・・・可哀相な古墳である。
へー こんなところにあるのか と言ってもすぐ脇には駐車場らしき広場があるので車で目の前まで行くことが出来る。
袖石の部分が見えているので開口しているのがお判りになるだろう。しかし、柵は傾いているし、開口部には何かが傾いているし、銀色のシートは一体何のために掛けられているのかわからないしで、これが町唯一の貴重な古墳の取り扱い方だろうか。
苅田のとあるところにある。「苅田町史跡案内マップ」には載っていない。風雪に晒されながら、「お山の大将」(我々の子供時代ならいざ知らず、今の子供達はこの様な言葉は口にしないだろうな)とでも言いながら子供達が登って遊ぶところになっている。さて、これはいったいなんだろう。
地方の田舎のお祭はいいね
曽根開作神事 江戸時代に海を埋め立てて新田を開発したのである。そのような経過によって祭りが行われるようになっていったのである。