ヒメコ塚の周囲を巡る濠である。
幅の広い周溝跡が検出されているのがよく判る。これで確信したのはヒメコ塚が円墳だったということである。
賢明な読者諸氏には判って貰えるものと思うが「ヒメコ」と言う言葉から単純な連想はよくないというこである。
これが本当なら消滅させたりしないどころか、日本がひっくり返るぜ。
一言言っておくが、ヒメコ塚古墳は削られて無くなる運命である。東九州自動車道が走るからである。
右と左に円墳があってその二つを結ぶようにして土堤が造られたように見える。
両方に石室を持つと言った特異な前方後円墳である。ひしゃげたような形がまたユニークでいいね。
いったいどういうことでこんな所に石室の石を使っているのだろうか。移築して残せばいいんじゃないかと言わんばかりである。
どのくらい前からこの状態なのかは知らないが、これから先もこのままらしい。
おっと、そろそろ名前を発表しておかねばいかん。ここは大塚公園と名づけられている。読んで字の如しで「大塚」というのが目の前の築山である。当然に古墳である。