荒神森古墳を天疫神社から見ている 日豊本線が走っている、画面右は小倉方面、左は中津方面
朽網の開作神事の山車である
妻と二人で夏吉に来ているのだが、また1号に来た。案内板は古墳だらけである。かと言って見ることの出来る古墳は限られているのだから残念としか言いようがない。因みに9号墳は山の中にあって探すのが大変だと言われたし、「35号墳はおいそれと登っていかれませんよ。梯子が必要だし、登っても藪だらけでどうですかね」あなた方のことを思えば行かない方がいいと言ってくれているらしい。お言葉に甘えて行く気が失せてしまった。妻は大変だと言う言葉を聞いてすぐにそっぽをむいてしまった。それが正解だろう。
昨日も来た。「おやまたかい いらっしゃい」
小竹町唯一の古墳だと幾度か紹介した。あまりにもいいかげんだ。古墳が可哀相でならん。埋葬された人間もうかばれまい。
ハの字に開いた袖石が面白い。ただ鴨居にあたる石材は一つの石ではなく両方から石を迫り出しながら造っている様である。
これが所謂持ち送りである。画面右の斜めになった石が目に付くと思うが、まさかアーチを造ろうとしたのではないだろな。
遺跡発掘現場 みやこ町から行橋へ向う途中にヒメコ塚発掘現場に出くわした。現地説明会が午前中に催されたそうで、我々はそれが終ったあとに行ったということである。
ヒメコ塚が解体されている。前方後円墳ではないかと言われていたらしいが周囲を巡ってみるとどうも円墳の様である。
現場には誰もいないのか。