番塚古墳
御所山古墳に続いて築造されている前方後円墳である。規模はそれの半分以下である。これ以降この地域で前方後円墳は発見されていない。築造されていないといった方がよいのかもしれない。それ以後は内陸に向うのである。
ぱっと見はコスモスかと見紛うほどだが季節が違う。100万本の内の何万本かを見ているのか。
中津方面に走っていると左に見えてくる。残念なことに「丘の上 ひなげしの花が」ということではなく「畑の中 虞美人草が」咲き誇るのである。
祇園八坂神社と目と鼻の先にあるスサノオ古墳 ここが広場になっていて祇園神輿、山車などのお旅所でもある。
その御蔭でこの古墳が遺されているようでもある。すぐ目の前を車が頻繁に行き来し、すぐ脇まで道路が拡幅されている。
別に古墳に案内する道標等はないし説明看板もない。北九州市の文化史跡に対するレベルの低さが見て取れると言うものだ。
木が邪魔だ。ここからでは楣石(鴨居)が見えない。天井石が奥まで続いている様子がよく判る。
しかし、戦争ごっこでもできそうだろう。下から攻めて行っているようで、機関銃が今にも出てきそうな感じを受ける。
やはりトーチカだな。手榴弾でトーチカ粉砕。
剣塚古墳 後円部 向うに神社本屋が見える
竹原古墳だけの紹介だけでなく付近の古墳も紹介していけば回遊出来るのだがな。
確かに遠賀川流域古墳公開のなかでは竹原は目玉だ。だが、どんな古墳であろうと若宮町の文化、史跡に変わりはない。
このせっかくの機会なのだから竹原以外にも光を当ててやってもらいたいと思うのだがな。
竹原には貸し切りバスで見学者が来るのだからな。王塚にも行くのだが他は聞かない。