番塚古墳の天井 少しアンダーな露出になっている。小さな石を積み上げていき、大きな天井石を載せるというのは難しいかろう。初期から中期にかけてこの様な造りかたがされているようだ。根を詰めた仕事をしなければならないから失敗は許されないな。大きい石をポンポンと置いていけばある程度の形は整うだろうが、石を組み上げるのは大変だ。そこに大きな石で蓋をしなければならないのだからな。
貴船神社 たどたどしく「おくさんはおげんきですか」「いっしょ」「えっ」「今いっしょ」 たどたどしく「おくさんもこふんがおもしろいんですか」「さあな」「えっ」「さあな」 「元気でな」 たどたどしく「ありがとござます」 「ありがと、ありがとう、ござます、ございます。う と い が抜けてるぞ。正しく発音する。まあ、兎に角身体に気をつけてな」
「はい、ありがとございます」「う が抜けとるぞ」「じゃあな。再見」
この方向から見ると小さな前方後円墳に見えるから面白い。当分の間中国から電話はかかってこないだろうな。
近くに住んでいる人が見学に来た。石室の大きさが判るだろう。大袈裟だが鏡石が大きすぎるのではないか。
排水用の溝を設けていることが今回の発掘でわかった。
側壁の腰石を立てたら鏡石くらいの大きさになるのではなかろうか。ところどころに朱が見られるようだが装飾でないのが残念である。市の担当にヒメコ塚の由来を知っているかを聞いたのである。すると意味深だが判らないとのことである。