番塚古墳を覗き見ている。 持ち送りで積み上げ、二枚の天井石を載せているようだ。
石塚山から番塚までは5分で、距離は約1.7kmである。また、番塚から御所山までなら0.5kmしかない。
たったこれだけの距離の中で九州最古、九州最大級大和型、古墳中期の石室構造を見ることが出来るのである。
ただし、石室は番塚しか見ることが出来ないと断っておかねばならない。また、三基総てが前方後円墳である。
削られている。古墳の形状は判らない。
家のあるほうが墳頂のようだったらしい。古墳の裾になる部分は手前と画面右になる。この付近は古墳群があちこちに存在する地域なのでこのようなことはそこらで見ることが出来るのだろう。古墳が削平されたと判る地域の住宅の門柱、庭石、石垣などに石室の石材が使用されているのが当たり前。この地域もそこらじゅうで見かけるのである。
大人の頭が入るか入らないか と言うくらいの空間だが、本来は竪穴式石室で、幅1.3m 高さ1.7m 長さ3.6m
よって、今見ている姿とは相当に異なるということである。
合屋古墳から移動してきた。損ヶ熊古墳である。ここは装飾古墳である。が、公開されていないのである。
古墳は復元されているのだが、周囲は全く持って手付かずである。何がしたいのかよく判らん。合屋古墳の説明にもあったが、「貴重な文化遺産」なのだから精一杯のことはやってもらいたいと思う。この地域には装飾であまりにも有名な竹原古墳がある。ここに来ればこんなにも素晴しい装飾古墳を見ることが出来るのだというくらいに整備してもらいたいものだぜ。
文化遺産とはこのように後世に残してゆくのだとお手本になるように。竹原の装飾がいい例になっているではないか。
秋根2号 秋根1号のすぐ傍にある。ご覧のように石室の痕跡だけ。移築された観音堂のによく似ている。
石材も礫岩なのである。
すぐ脇は公園である。賑やかなのだがこちらの方には人っ子一人いない。
母を連れて古墳巡りをしているのがお判りであろう。勝山町は橘塚、庄屋塚、綾塚、そして勝山神社も。
母は知り合いに言われるのである「息子さんと趣味が一緒でいいわねえ」すると「違うのよ。無理矢理連れて行かれて、薀蓄を無理矢理聞かされるだけなのよ」 門前の小僧習わぬ経読む の類である。
幅の広い周溝が古墳を取り巻いている。これにより円墳だったことが確定する。今の今まで前方後円墳だったのだが円墳と確定されたところで消滅も確定された。残った資料がないものかとテントの中に入ってみた。二人の発掘スタッフがいた。
資料は総て見学者に配布されたということであった。余るどころか足りなかったらしい。
帰ろうとしたところ「せっかく見学にこられたのだから中を見ませんか」そうやって心をくすぐることを言ってくれるのだから我々の気持ちを汲んでくれているようだ。制約もなく二人で見ることが出来るのだから鬱陶しさもない。
凄い。こんな古墳が消えて無くなるのか。悔しい。こんな古墳が消えて無くなるのか。