退院して自宅周囲を歩きリハビリ中に見つけた花である
周囲を林に囲まれた暗い道をしばらく走ると明るく開けた場所が見えてくる
壱岐で最古の古墳と言われている大塚山古墳 周囲に古墳が無いのが気になるな。
我々は業として「生命」のほんの一部を食させてもらうので文句など言ってはいけないのだろうが、このように手を加えられすぎて味も素っ気もないものになってしまった魚があまりにも可哀想である。
私と同じ考えの方も出されたものを食べずに残すなどというもったいないことはしたくないと言う。私も同意見である。
が、しかし、魚の持つ油分は健康食として身体に良いものだと公然と言われているものではないか。しかも頭も良くなると過大な宣伝をもしている。
しかし、病人はそれも口にしてはいけないのだろうか。はたまた、毒になるとでも思っているのか。
このように栄養を捨て去るような料理をして無味乾燥なものを食させることが病理栄養学というものなのかなと思ってしまう。
そしてそれは晴天の霹靂のように不意にやってきた。
仰向けで寝ると両足がじわじわと痺れ始めついには痛みが伴って眠ることさえ出来なくなったのである。ただ左を下にして寝るとなんとか寝ることができたのは勿怪の幸いであった。
外を歩けば両足が痺れ、あまりもの痛さで歩道に座り込んでしまう始末だった。こうなると周囲の人間から遠巻きにされ好奇の目に晒されてしまうのである。これではもう外を歩くことは出来ない。こうなってしまってからは家庭内での立居振舞もままならずで、案の定トイレに行くだけでも足が痺れてくるのである。これでは何も出来ないし自分ではどうしようも出来ない。
こうなったからにはもう一大決心をせねばなるまい。
その決心とは手術を意味するものだ。清水の舞台からとはよく言うがそんな生易しいものではない。飛び降りようが飛び降りまいが自分のためには病院に行かねばなるまい。行ってこの原因を取り除かねば普段の生活がままならないのである。