石室が失くなっている。その上石材まで抜き取られてしまっている。百合畑古墳群のほんの手前にあるのだが、整備されていない。残念である。
中国語を数ヶ月教えた子(と言っても35,6歳だが)が「先生どこか行きましょう」と連絡してくる。他に用事でもなければ大概二人で出かけている。その時はだいたい古墳に行くことにしている。
この彼が必ず私を迎えに来て、来れば必ず手品師の店に寄って何かを買っているのである。ところが「行きましょう」の連絡が入っても何時来るか判らない。それで「先生つきました」の電話が入ってから着替えてから、やおら店に向かうのである。
店までは歩いてもたかだか4、5分だ。行けば彼は買い物をしているか店の者と話をしているかで、私は彼を待たせているという気が少しも起こらないのである。恐らく彼も待っているという意識は毛頭ないのではないか。
手品師と会うのはこの時でしかなく、そんなに話し込むといった時間を持たないでいた。
たまたま私の入院手術が決まったときに冗談めかして手品師に「おい、見舞いに来いよ」「来て手品でもせーよ」と言ってしまったのである。言ってしまったのが運のつきだった。
小さな山が神社裏にあって、そこに足を踏み入れなければならない。山道を登りながら考え・・・
柵か 扉か・・・もしかして施錠されてしまっているのか・・・