事例紹介コラムです。
留守録で観ましたが、今日の夕方のニュースで無人島キャンプの様子が、全国ニュースで流れましたね。全国映像で岡山の話題が流れるというのは、かつてのギネス級ゴールの植田選手以来ではないでしょうか。さすが、元代表のレジェンド選手です。何でも明日の「あさチャン」(毎朝観てます)でも登場するとか。今後も露出度がアップしそうですね。
先日14日に、「2015 ファジアーノ岡山 新体制・新加入選手記者会見」が開催されました。その中で、今回注目の岩政、加地、矢島選手のインタビューがありました。J's GOALで読んでいましたが、なかなか内容が面白いので、抜粋して紹介させていただきます。
【新加入選手会見】
加地選手:
「J1昇格とかJ1昇格プレーオフ進出圏内という意識は全然なく、1日1日納得のいくサッカー人生を送れるように、充実した1日を送ることが目標」
岩政選手:
「この年になると経験、経験と言われるが、今の段階で何ができるか正直、わからない。ただクラブと共に成長していきたいと思っており、これからファジアーノ岡山は次の段階に入っていくクラブだと思うので、その力になりたい。目先の勝利、J1昇格も大事だが、それ以上にクラブの将来に繋がっていくような仕事をやりたい」
矢島選手:
「攻守に貢献したいが、特に攻撃でチームを引っ張っていけるような存在になりたい。練習から競争を勝ち抜き、ポジションを勝ち取り、それを個人の目標であるオリンピックに出場に向けて、頑張りたい」
【質疑応答】
Q:ファジアーノ岡山にとって日本代表経験のある選手は初めて。経験をどのように還元していきたいか。
加地選手:
「試合の中でのリズムであったり、運び方、時間帯、細かい部分を教えるというか、自分もまだそういう立場ではないが、言っていってみんなに感じて欲しい」
岩政選手:
「教えていく、見せていくというより、自分がまだ多くを学ばなければいけないという大前提で、経験をどのように生かすか。起きる前に思う事ではなく、起こった事に対しての自分のアクション、リアクション。そこで初めて経験が生きたと言えると思う。自分が(J1)鹿島や日本代表で経験した事、タイトルも含めて、それらを元に岡山で起こった出来事に対して自分が感じてみて、何を選択して行くか。選択肢は増えていると思うので、それをどのように生かせるかは、これから見てみないとわからない。経験の中で自分が出来ることをしていきたい」
Q:ファジアーノ岡山を選んだ決め手は何か。
加地選手:
「岡山という街と人に興味があった。選手やコーチングスタッフに興味があり、そこからいろいろ自分なりに吸収して、成長できるのではないかというところがポイント」
岩政選手:
「タイリーグメディア向けのコメントとして出したホームシックという事は関係ない。初めに声をかけてもらい、自分を必要としてくれた事が大きかった。その中で、自分が(J1)鹿島の時に対戦した事のないクラブのほうが、自分の思い入れが込められるんじゃないかと思い、J1に上がったことのないクラブの方が自分にできる事が多いのではないか、自分だからできる仕事がここにあるのではないかと感じたことが大きかった」
Q:岩政選手、背番号「35」への思い入れがあるのか。
岩政選手:
「ブログにも書いたが、後藤選手がいなくなって3番が空き、『これはタイミングよく付けろということなのか』というイメージを持ったが、自分にとっては鹿島の『3』に意味があったので、少し違うものを見つけていきたいと思った。他の番号をという時に、浮かぶものが1桁ではなくて、タイでの経験も示したいと思い、3番と5番を足して考えた。大きい番号をつけたことがなくて違和感もあるが、35番を見たら、辞めた時にも岡山を思い出すと思うので、余り今までの経験とかぶらない数字という意味でも35番が良かった」
Q:サッカー、クラブの理念を含めてのファジアーノ岡山というチームに対しての印象は。
加地選手:
「サッカーは堅実、地域密着型で、街全体で応援するいいチームだなと思う。一昨年、G大阪の時に対戦したが、相手としたらくせ者というか、やりにくい相手だった印象がある。会社としてもサッカーとしてもすばらしいところだと思う」
岩政選手:
「山口県出身なので、ファジアーノ岡山がカテゴリを上がってくるところをずっとチェックしていた。どんどん伸びている印象があり、縁があるとは思ってなかったが、自分の中では昨年夏にはここに来ることを決めていたので、1年近くチェックして、このクラブ、選手を含めてクラブの将来性を感じた。このクラブを取り巻いているスタッフ、サポーター、選手たちに今、見えているよりも、もっと大きな将来があると思う。それを引き出したい」
Q:矢島選手に、J1浦和を離れる決断した理由と、リオ五輪が視野に入っているリオ五輪まで、どんな1年を過ごしたいか。
矢島選手:
「昨年余り出場できなかった事と、環境面でいえば浦和はJリーグでもトップクラスなので、どこかで甘えがあったと思った事。(浦和時代は)練習でも周囲の選手のレベルが高いので、そこに甘えていて、去年から練習が終わった後でこれでいいのかと思っていた。そういうところで環境を変えてみるというのが、自分の中でベストの選択だと思った。こういうところで競争して1から出直して、日々の練習からアピールして、1年間通して試合に出ることに意味があると思う。新しく来たからといって特別視されるとは思わないし、キャンプや練習で、自分の納得のいく練習をして、アピールしていきたい」
Q:岡山のサポーターに、どういうプレーを見せたいか。アピールポイントは何か。
加地選手:
「プレーとしては、守備ではピンチを素早く察知して回避できるようにしたい。攻撃ではゴールに絡められるところを見てもらいたい。自分のイメージは、面白いところ。ファン感謝イベントがあれば、積極的にファンの皆さんと仲良くさせてもらいたい」
岩政選手:
「自分は結果を出すことに対して厳しい方だと思うので、結果に対して責任を持ってやるつもり。特に両ゴール前で仕事ができなければ自分の立ち位置はないと思う。この世界で自分が残ってきたのはそこであり、このクラブ結果というものを示せるようにしたい」
矢島選手:
「攻撃を得意としているので、ペナルティエリア付近での引き出しの多さだったり、そういったところで点の取れる選手にどんなパスを出せるか、そういうところが得意。パスだけでなく、自分でもシュートを打って点に絡むプレーを多くしたいなと思っているので、そういうところを見て欲しい」
J's GOAL該当ページ:http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00184438.html
クラブ公式HP該当ページ:http://www.fagiano-okayama.com/news/index.php?c=topics_view&pk=1421134361
岩政選手は発言では謙虚ですね。記者会見で「ブログ」を口にしているのはいいですね。ファジのトップ選手のブログといえば、JFLくらいの頃までは喜山選手を筆頭に何人かやっていて、当ブログでもリンクさせてもらっていましたが、J2に上がってからは全く選手ブロガーを見かけませんでした。そういう中で、堂々とブログでの情報発信を貫く岩政選手の姿勢は素晴らしいと思います。中身も濃いし。岩政選手がけん引役になって、ブロガー選手が増えませんかね。何かと規制もあるでしょうが、岩政選手くらいの存在になると、比較的自由なのかな。というか鹿島さんが自由だったのか。岡山をいつか去った時に、背番号35を見て岡山を思い出す事になるとありますが、もう少し若い番号で思い出して欲しかったし、入団時に去った時の話をするのはちょっと早いのかなと。岩政選手に先んじて3番を所望した久木田選手は、これから岩政選手と競争ですね。
あと、1年近くファジの「クラブを取り巻いているスタッフ、サポーター、選手たち」を研究していたというのがいいですね。表向きではなく、実際の所の印象を聞いてみたいものです。
あと、加地選手は「自分のイメージは、面白いところ」というように、根っからのいわゆる宴会部長のようですね。ガンバさんや他のJ1クラブのファン感のように、選手によるステージパフォーマンス(昔、選手全員でAKB48を踊ったチームもありましたね)は今までは無かったですが、加地選手の音頭取りでファン感の時に次の時に何かやって欲しいですね。先のファン感では「マンネリ性」を感じたという声も聞いたのでいいかも。
いい機会なので、加地選手の「面白いところ」情報を探ってみました。以下のとおりです。
・ガンバ時代のファン感では「すべり芸」があったとか。
・2008年には幡戸選手とM-1グランプリに出場するという話があった。
・(お笑い情報ではないですが)箕面で奥さんが「CAJIカフェ」という店を経営。(今もやっているのかな)
・ガンバ時代にスタジアム募金のディナーショーで郷ひろみのモノマネを披露したとか。
ぜひ岡山でも所属している間に、こういうシーンを生で見せて欲しいですね。動画とか観ましたが、本当に楽しそうにやっていました。根っから好きなんですね。岡山で今まで他のクラブと比べてまだまだと思っていたのが選手とファン・サポーターの距離。加地選手のコメントにあるとおり、積極的にファンの皆さんと仲良くして欲しいですね。これが加地選手が近づきたくても全く近づけない環境になってしまったら、1年のみの腰掛け在籍になるかも。そういう事にならないよう、ぜひ頑張って距離を縮めて欲しいですね。
話は変わり、中庄にあった「ふくちゃん」が昨年末でひっそりと閉店していましたね。当ブログでも語る会を開催したり、「ファジサポの会」やPVに参加させてもらったりと思い出が多かったです。ここ数年はご無沙汰していましたが、あのうどんがもう食べられないのかと思うと残念です。このカテゴリの2010年くらい以前の記事にいくらか載っています。