森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「もやっと」

2007-07-07 12:20:47 | ’08/12/7までの未整理日記

 もう止めてしまったので、「元」久間防衛相の「しょうがない発言」についてですが、

―エーッ、あなたは「もやっと」程度なの―と思われるでしょうね。

いやぁ、違いますぅ。

 

 

 今の世の中、テレビのニュースも見ないで新聞も読まず、PCなんかも閉じたまま、三日も過ごすとどうなるか。同じ空間に立っていながら、勝手に浦島太郎が出来上がるわけですよ。先週の週末の私がそうでした。

 

 しかもそのニュースが流れてきた時、うつらうつらしていて、そんな意識の中では

―八月前なのでエノラ・ゲイの特集でもやったのかなーと思ってしまったのですよ。

ところが目が覚めて驚きましたよ。だって、日本人が言ってしまう言葉ですか、それって。昔、エノラ・ゲイに乗っていた機長ポール・ティベッツはインタビューに答えて、「後悔はない、原爆投下は必要だった。原爆が戦争を終わらせたんだ。」と言っていましたよね。

私はそれさえも、そう思わなければ生きていくことが出来なかったと言う、違う心情を感じたのですが、そうだから言っても、どれだけその言葉が、日本人の気持ちを傷つけたことかと思います。この日本人と言うのは、被害にあわれた方と言う意味ではなく、私たちみんなだと思います。

 

また「後悔なんかしていない。」と「しょうがない」とはぜんぜん違いますが、寝ぼけた頭と意識では、要するに「もやっと」した頭では同じに感じてしまったのですよ。

―ああ、ここで「もやっと」っね。―と思いましたか?

 

,でも、

―あんた、エノラ・ゲイまで話を飛ばすなよ。―と、叱られそうです(誰にかな?)

だけど、仕方がないっす。人の感じる、または考えるスピードは本来は矢を射るより早いのですから。

 

で、この人の発言には、本当にあれやこれや思うことがあるのですが、止めたと言う結果から、皆思うことは同じだったはずなので、書くこともないかと思うのです。でも、辞任会見は変でしたよね。

「『しょうがない』は口癖だったからしょうがない。」と「しょうがない」を連発し、悪かったと言う反省より選挙のために止めてやるみたいな態度に感じてしまったのも、別に私だけではないですよね。

でも、この人がその会見で言った事で、これは当たっていたなと思うことがひとつありました。

「私はボキャボラリーに乏しいんですね。」

 

内容切り取りでない発言をお知りになりたい方は、コチラなどにありました。

 

それを読むと、もっと丁寧に言わなければならないことなどを「しょうがない」で括っているように思うのです。確かにボキャ不足。

 

だからといって、この人から反省の雰囲気を感じないのは、何がいけなかったのか良くわかっていないからではないでしょうか。単なる国語能力不足ではないでしょう。

 

「ホロリ」で書いたことの真逆。彼は地図の上での国土を思い、しかしながらそこに住んでいる人のことに、思いを馳せる事が出来ないのではないでしょうか。

彼が今、まぶた瞑れば、目に浮かぶのはなんなのだろう。。。。

 

アレーっ、、、、。ちょっと-、方向転換したわけでもないのに私のブログにしては、珍しく個人攻撃だ・・・・・!?

 

なんとなく気分悪いので、こんな話。

エノラ・ゲイのことを少し調べていたら、ロバート・ルイス副操縦士のことが載っていました。彼が書いた鉛筆の走り書き。

私たちは一体何人を殺したのか? 
 正直いって、語る言葉が見つからない。神よ私たちは何ということをしてしまったのか。」

また、

「100年生きたとしても、この数分のできごとを
 心から消し去ることはできないだろう」(天声人語からルイス氏の記述のみ抜粋)

 

 過ぎた過去だからと言っても、決して忘れてはいけない過去がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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