森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「きりきり」

2007-07-06 07:30:13 | ’08/12/7までの未整理日記

 

 何で、こんなタイトル?

それは、「ホロリ、きりきり、もやっと」をお読みくださいね。

 

  ここでは、死刑についての私の考えは差し控えたいと思いますが、ある時私は菩薩のように全てを許したい心情になるときもあれば、ある時は怒り抑えがたく、かなり過激な発言をする時もあります。

 

 ある時の、怒り抑えがたい事件が起きた時、市中引き回しを復活しろなどと仲間うちでですが、言う時があります。でも、この言葉を読んで、正義の使者のあなた、反論と言う形で攻撃しないでくださいね。

私たちは分かっているのですよ。わかっていて吠えているのです。死をもって極刑とする私たちの法の下では、さらに刑を加えられることは無いのですよ。例えば鞭打った上で死刑とか。引き回されて精神的な苦痛の後に死刑とかはないのですよ。

ただ、押さえがたい怒りを、そのような言葉で表現しているのに過ぎないのです。だから、「本当だよねえ~。」と言う同意はあっても反論は聞いたことがありません。その心情に共鳴し、その真意がわかっているからです。

 

 

 ところが、光市母子殺害事件の差し戻し裁判の事が繰り返し、ワイドショーなどに流れた頃、私は奇妙な感覚を感じました。

 

 差し戻し裁判自体が、暗にあることを示唆していると思います。子供が、私に聞きます。

― いったい、この大弁護士団は何がしたいんだい。―

家庭内の会話なので、少し無責任かも知れませんが、私の思っているままを言いました。

― 「私たちは死刑廃止を訴える者なり」という、アピールじゃないかな。―

だからといって、なんだかどかどかと嫌な感じです。

 

そして裁判の時の「元・少年」の奇妙奇天烈な発言です。ドラえもんに助けてもらいたかった、魔界転生に出てきた復活の儀式、頭を撫ぜてもらいたかった・・・

ちなみに彼は「元・少年」であって、今は少年ではありません。あまりの発言に、唖然とした方ばかリだと思います。いや、一人として「そうだったのか~」と感心された方などいないと思います。

 

そして、思ったと思うのです。何処から来たんだ、その発言は 、と。

 

誰かが、暗に智恵を授けたのかも知れません。でも、なんと言う半端な智恵なのでしょうか。いやいや、この場合はこれでいいのでしょうね。言い逃れる事のできない事実の前では、取り繕う言葉はかくのごとく陳腐だと言う見本になって行くかも知れません。

 

 でも、その時感じた「きりきり」と言う感覚。彼の犯した犯罪にではない、新たな怒りみたいな感覚を感じたのです。

 

 私たちがある日、反省なき凶悪犯に向かって言った、量刑のプラス。私たちの言葉は、何の効力もない遠吠えであるのに、彼は、それに近いものを実行されてしまっているような感覚です。

 もし、彼に半端な知恵を付けたものが、弁護士と言う職業の人なのだとしたら、弁護士という立場にありながら、彼らが守るべき被告に対して、自ら市中引き回しにも近いような、「愚かである」と言うことを日本中にさらに知らしめたと言う刑のプラスをしてしまったと思うのです。

そのことは、彼は何か違う思惑に利用されているに過ぎないとさえ感じてしまうものでした。と言っても、これは、もちろん私の感覚ですが。

 

 ですが、その日の遺族の方の会見で、その方がおっしゃっていたことが心に残りました。でも、なぜか、いつも言葉は途中で切れてしまっているのですが。マスコミ的にはあまり美味しくないのかも知れません。

 

遺族の方はドラえもんなどの事は取り上げず、死んだ自分の母のことを引き合いに出した事を挙げていました。

言葉はいつも不正確になってしまいますが、内容はこんな感じ。

―彼にそこまで言わせた後、もし極刑が下れば、彼の人生はなんだったのだろうかと思ってしまう・・・―

 

 

一人の「人」として加害者の「元・少年」と向き合っていたのは、皮肉にも被害者遺族の方だったのかもしれない、そんなきりきりとした感覚が、私の中には残ってしまったのでした。

 


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