森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ジョジョの奇妙な冒険」①

2007-07-29 00:09:04 | 漫画・マンガ・まんが

  好きな漫画のことを語ろうと言って、最初にこの本の題名を出すなんて、「ゴメンね、萩尾望都様」って言ってしまうわけです。だけど、彼と彼女との漫画の出会いには、なんとなく共通したものがありました。

私は昨今ではあの人この人と主に若手俳優中心に、ときめいてはいますが、昔はあまり芸能人にときめくことはありませんでした(例外は居ますが・・)。  でも、漫画家様にはときめくのです。荒木飛呂彦、くら~っときましたよ。萩尾望都同様に。

 

荒木飛呂彦と言うのは、この「ジョジョの奇妙な冒険」の作者なのですが、私とこの作品との出会いの話から聞いてくださいね。

 

子供の読む本が「コロコロ」から「少年ジャンプ」に移ったころ、私は気になって仕方がない漫画がありました。読んでみても意味不明、でも、なぜか気になって、ある日子供とだんなに聞きました。

 

「ねえ、スタンドって何?」

でも、返ってきた返事は曖昧で、ますます分かりません。

「何で、この杜王町の人たちはみんなスタンドが出せるの?」

これは、返事なし。当たり前ですね。この秘密は登場人物たちにも分かっていない事だったのですから。

 

 

その頃は少年漫画の単行本を、自分のために買うのはちょっとためらいがありました。それで、まだ小学一年だったラッタ少年をそそのかし、一巻と二巻を買ってみました。

 

ところが、パラぱらっとめくってみると作風違うし、線の太さまで違うような気がしてしまって、読む気が失せて放置してしまいました。

ラッタも言いました。

「最初の方と、今のは違う話だよ。」

 

じゃあ、いいか、読まなくてもと思ったからです。

 

しかし、杜王町シリーズは読んでいました。街といっても田舎町、少しはずれに行けば森やフィールドが広がっているような長閑な感じのする町の不思議ワールド。なぜか都会の洗練されたお洒落な感覚が漂っています。

 

でも、それからかなり経ってしまったある日、子供が学校に行った後、ふと掃除に入った子供部屋で手にした一巻と二巻。これがきっかけで子供も巻き込んでの「我が家ブーム」がやってきました。(但し、だんなは外れて・・)

 

ところでワタクシ、最初荒木ヒロヒコのことを、どういう訳かトロヒコと呼んでいました。飛ぶの「と」を採用してしまったのですね。普通はそんなことをする人はいませんよね。普通は「ヒ」と読むのが常識でしょう。でも、何で私は彼が好きになったかというと
この勘違いの名前のインパクトだったかも知れません。

 

力あるものは違うな。自分に「トロ」と言う響きを入れてしまうなんてと思いました。自分に対しての戒めかなと思いました。二葉亭四迷みたいな感覚は好きですよ。

 

それで、違うと分かった時は少しガッカリしましたよ。

なんだあ、フツーじゃん。 

 

でも、たぶん私が勘違いした理由は、アレだと思うな。

「何を、するだぁー!」と言うセリフ。

 

私は少年漫画って凄いなと、いたく感心したのですよ。真面目キャラのジョナサン・ジョースターにこんなセリフを叫ばせちゃうなんて。

 

でも、コレも

「何を、するんだぁー!」の誤植。有名な話らしいですよね。

まぁいいか。恋はいつだって勘違いから始まるものなのさ。

 

 

この漫画のことを知らない人は、私の言っている事は訳の分からない呪文のようなものでしょうね。いくらレビューではないといっても、もう少し分かりやすいように次回から書きますね。

 

そして、知っている人にとっては、笑っちゃうようなことばかり書いていますよね。十分分かってはいますが、まあおしゃべりなので御勘弁を・・・

 

ちょっと、私信です。

YAN さま
私の大好きなシーザー・アントニオ・ツェペリ は、レッド・ツェッペリンから採ったんですよ。(読んでいないかな?)

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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