副題を付けるならば「ものの魂を信じている?<その6>」というところです。なにげにこれは自分でも好きなシリーズです。勝手にシリーズと言っていますが、ここまで来るとまだまだ書きそうな予感です。
最初から余談ですが、前に大島弓子さんの「グーグーだって猫である」の感想を書きましたが、あそこで書き忘れたことがありました。一巻の冒頭、「物の魂」の話題が出てきます。
「モノのきもち」と言うサブタイトルの付いたわずか4ページのその中に、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機の話が盛り込めれています。壊れかかったファクシミリに「買い換えるぞ」とおどしたら直った話なども。
ちょっと吃驚しました。思わず後ろの方の初版月日を確認してしまいました。(ず、ずうずうしい~!?)
―初版平成12年― !
もともと日本は「物の魂」を大切に思う国なんですよね。妖怪なんていうものは、物の魂の幽霊みたいなものがたくさん出てきますし、目新しい発想というわけではないと思うのです。まあ、誰もが思うことで、誰にでも似たような経験があるということなんですね。
でも、ふと思ってしまいました。この先私がこのシリーズを書籍化しても(超妄想です。)、「イキガミ」のように、「似ている~」「パクリ」とか言われちゃうのかもね、なんてことを・・・
という訳で(どういう訳?)、余談終了です。
<ある夜の出来事>
その夜の私は寛大でした。一緒に勉強している中学生の男子達は、皆熱心に自分の課題に取り組んでいました。そういう子供を見ていると、機嫌が良くなってくるのです。私の機嫌の良さが子供にも伝染するのか、皆にこやかな顔をしています。でも、あの事は注意しておかなければと思い、ゆっくりと私は言いました。
「カイジ君(仮名です)、今日は調子が良いみたいね。でもだからと言って、歌いながらやってはいけないよ。」
「エッ、僕歌っていません。あの鼻歌でしょ。僕はずっと先生が歌っているのかと思っていました。」
もちろん、私が歌うわけがありません。それからお祭りになってしまいました。
「僕もカイジが歌っているんだと思った。」と言う子もいれば、
「僕は今日は先生は機嫌が良いんだなと思っていたよ~。」と言う子。または違う子供の名をあげる子供。
無意識だったのか、それとも誰かが法螺を言っているのか?
犯人を捜せというサスペンスよりも、こういう時は誰も歌っていない歌が聞こえたと言うホラー系が、子供にはお好みなようで、盛り上がってしまいました。
少年達は意外とビビリです。帰り道がちょっと遠い子に、少し大回りして一緒に帰ってあげるなどと言う相談がすぐに纏まっていました。
いい事じゃない。思わぬ良い展開になりましたが、真相は分かりません。こういう話から、座敷わらしの伝説は生まれるんじゃないかしら。
<ある日、突然>
それからしばらくしたある日、突然ポットが壊れてしまいました。いくら私でも、壊れた物にいちいち涙しながら別れる訳ではありません。
「何だあ、5年しか持たないわけ。」と冷たいもんです。
このポットは前の仕事を止める時に、その餞別に頂いたものなんです。
あれから5年も経ったのかと、ちょっとしみじみ。捨てる前には綺麗に拭いて・・・
その時、ふと思い出しました。
そういえばこのポット・・・・
<歌うポット>
もうこれは忘れていたことだったのですが・・・
とにかく今年ではない昔。
「先生、誰かが歌っていますよ。」
「ああ、あの歌の正体はポットさんです。」
「ええ~!! ポットが歌うんですか。」
「歌いますよ、うちのポットは。」
でも、それって
じじじzzz~、ズズズzzz~とか、ビービーとか言う音だったのです。
蓋の所が微妙に合わないのか、遠くからおじさんの寝息が聞こえるような感じだったのです。それもいつの間にか聞こえなくなっていました。気にならなくなっていたのかもしれません。
「まさか・・ね?!」
私はじっとポットをみて呟きました。
だってあの時聞こえてきたのは
ソソソー、ララミー、ミファミレー♪
みたいにちゃんとメロディになっていたのですよ。
もちろん、もうポットは歌いません。沈黙し我が家から去っていきました。
物の魂を信じている? <その1>→ココ
物の魂を信じている?<その2> →ココ
物の魂を信じている?<その3>→ココ
物の魂を信じている?<その4>→ココ
物の魂を信じている?<その5>→ココ