「泣けと言われて泣けるのか」「あぶない丘の家」「鬼門なる場所」の続きです。
続きとは思えませんが、脳内連想で書いています。次の記事の前振りとも言えます。
中学の頃「春望」と言う漢詩を習いました。
この詩を学んだ時、凄い詩だと思いました。
国 破 山 河 在 国破れて 山河在り
城 春 草 木 深 城春にして 草木深し
感 時 花 濺 泪 時に感じては 花にも涙を濺ぎ(そそぎ)
恨 別 鳥 驚 心 別れを恨んで(おしんで)は 鳥にも心を驚かす
烽 火 連 三 月 峰火(ほうか) 三月(さんがつ)に連なり
家 書 抵 万 金 家書 万金に抵たる(かしょ ばんきんに あたる)
白 頭 掻 更 短 白頭(はくとう)掻けば更に短く
渾 欲 不 勝 簪 渾べて(すべて)簪(かんざし)に勝え(たえ)ざらんと欲す
前半は意味など書く必要もないと思いますが、後半はちょっと意味などを書きますと、
戦火の狼煙は三ヶ月たった今も消えない。
家からの手紙は万金に値する。
白髪になってしまった頭の毛はさらに抜け落ちて
簪などさせない有様である。
と言う感じですか。
簪(かんざし)と言うのは、しっかりイメージしないと分かりづらいかもしれませんが(昔の私がそうだったから)、中国のその頃の絵などを見ると、男の人も簪を挿していますよね。髪をそれで止めていたのでしょうか。
という訳で、リサーチしてみますとwikipediaの「簪」の項の語源に、しっかり書いてありました。
漢語「簪」は中国で使用された髪留めを指す。簪という漢字の中にある牙に似たような字は、正しくは旡(サン)という字で、これは髪の毛の中にもぐりこむかんざしの形を描いた象形文字である。竹製の簪が多かったので、のち竹かんむりを加え、下に「曰」(人間の言動を表す記号)をそえて、簪(サン・かんざし)と書くようになったという。男女ともに髪を伸ばす習慣のあった中国では、男性が地位・職種を表す冠を髪に留める為の重要な実用品でもあった。貴族は象牙庶民は木製のものを使う。
なるほどですね~。
若い時、つまり中学生の頃はどちらかと言うと、前四句に感動しました。極端に言うと最初の一句にかもしれません。
戦争で荒れ果てた大地、心身ともにボロボロになってしまった人々、泣き叫ぶ女と子供・・・
だけどその向こうに、山も川も森も、動ぜずにバーンと存在している・・・
この「バーン」がポイントなのね。
そしてなぜだかこの一句だけが、頭の中で一人歩きをしていってしまったのです。
この時湧きあがって来るイメージ・・
土くれを握って、
「あたしは負けないわ。」と再生を誓うシーン。
そう、「風と共に去りぬ」の南北戦争直後のスカーレット・オハラのイメージです。
だけど実はそれはイメージの暴走と言うものなのですね。そんなことは何も書いていないんですよ、この詩には。
でも一句に続く句は、落城してしまった城跡にも、そんな人間の都合など関係なく春になれば草がぐんぐん伸びて、自然の力強さを感じてしまうのです。そんなシーンに後押しされて、益々イメージの暴走がましてしまうのですね。どんなに今は廃墟の中に立っていても、再生の暗示を感じてしまうからです。
だから続くその後、いつもなら心癒される花を見てもこんな時代を思って涙が落ち、家族と引き離されている身を嘆いて、鳥の声にも深く感じて心に突き刺さると、嘆いているにも拘らず、イメージの暴走はとまらないのです。
または暴走中なので、訳が、こんな時代なのにしっかりと咲いている花の美しさに(感動して)涙が落ち、別れた人たちを思って鳥の声にもしみじみするみたいに変わってしまっていたかも知れません。
中学生の頃は、後半四句はあまり心に残っていません。特に最後に二句が好きではなかったのかもしれません。子供ですから、白髪のおじさんの髪が益々抜けて薄くなってしまったという事には、目を向けたくなかったのかも知れませんね。
だけどこちらも歳を重ねて、この句を読み直してみると、そんなイメージは暴走以外の何物でもない事が分かるのです。
この句は詩聖と言われる杜甫が、安禄山の乱によって都(すなわち世の中が)が崩壊していく悲しみを、幽閉されている身の時に作られたものです。
「硫黄島からの手紙」などの映画など見てもしみじみと思うことですが、家族から引き離され、戦火の中にいる時に、心を強く励ましてくれるものは家族からの手紙と言うのは、いつの時代にも変わらない真実なのでしょう。
髪は心労の為に真っ白になり、そして抜け落ちて、季節が巡ってきたらぐんぐんと萌伸びていく草木との見事な対比になっているのですね。
惨めな悲しい詩なのですよ。
それなのに、なぜイメージの暴走は起きてしまったのか。
それはこの漢詩を思うとき、先の大戦で荒地と化した日本の大地とそれでも変わらずに存在する、日本の美しい青い山々のイメージが、最初の二句にあったからだと思います。
そして、荒廃した敗戦国日本のその後の復活を知っているからだと思うのです。
作者の意図とは違うかもしれませんが、人はどんなに嘆いてもその書かれていない言葉のどこかに、パンドラの箱に隠したように「希望」と言うものをそっと隠しているのかも知れないと思いました。
でも最大の暴走は詩聖と言われている人の詩を、かくの如きテーマに選んだ事かも知れませんね。
国破れて 山河在り
城春にして 草木深し
やっぱり好きだなぁ・・・。そこの部分。
・・・もしかしたら、次に私が書く記事のテーマは勘の良い人には分かってしまうかも知れませんね。
「次に」と言うのは、このシリーズの次であって、それはいつになることやら。