深夜に本多を訪れた兼続。
「直江を差し出します。」
それは本多の次男の政重を兼続の長女お松との婚儀を意味し、すなわち将来的には家督を譲ると言うものでした。
本多の横には、またもあの遠山がいました。彼がいちいち兼続の言葉に、相手にされないながら言葉をさしはさむのが、うざさ全開でした。ウザイと感じさせるのが狙いかも知れませんが、彼の存在に何も意味を感じないのですが、どうなんでしょうか。
悪役キャラは家康が一手に引き受けているので、小者キャラは要らないのでは。
でも、一緒に見ていただんなもとうとう言いました。
「この家康は本当に酷く描かれているね。ここまでそう描く必要があるんだろうか。」
前回の39回の感想で、ちょっと私が感じた事。
「時々不愉快」と言う言葉で表現させていただきましたが、そう感じている人は私だけではないのだなと思いました。
敵キャラが強ければ強いほど、その戦いの物語は面白くなりますが、その敵の強さには「美」が伴っていなければ魅力などないが如き。
「正」と「邪」は視点が変われば一転するもので、「水戸黄門」じゃあるまいし、もっと複雑なニュアンスが欲しい所です。
まあ、この「天地人」は単純でわかりやすいところが受けているようなので、それも仕方がないのかもしれません。
さて今日のお話ですが、上杉の処分についての物語。
切腹、家断絶の危機が迫っても決して謝らない上杉。人々が「終わったな」とか「さすがだな」と噂しあうシーンは面白かったですね。
福島が庇い、小早川が動き、淀君が頼み、秀頼が命を下し、本多が口添えをする。多くのものに守られて、上杉は120万石から30万石になり米沢に移封になります。
12万のパート収入が3万になったって大変なのに・・・
って、またも小市民的発想ですが、その方がピンと来る私ってどうなの・・・。
「よし!節約しよう!!」と言っても、そんな程度ではきかない減収ですね。
でもあくまでも「美しき義」に生きる上杉ですので、ひとりとして放免することなく、殿を信じて付いて来る者はすべて面倒を見ると兼続は伝えます。米沢に移る日、誰一人離れて行くものもなく、上杉は6千の家臣と共に米沢に移っていったのでした・・・・メデタシメデタシ
おっと、ついそんな風に言ってみたくなってしまったのですよ。でも夫が言いました。
「米沢藩は、この先ずっと財政的には大変なんだよなぁ。」
えええ~。
するってえと、300年ずっと貧乏ってことですかい、だんな?
ザワザワザワ
その真実は分かりませんが、義とは厄介なものでござると、つい呟いてしまった私です。
◇今日は福島も頑張りましたが、上地小早川の見せ場でしたね。それなのに6字で終わってしまっては悪かったかも。人は何かを通して、その人に合わせた速さで成長していくもの。小早川は最後の日々の中で、その成長を(このドラマの中では)見せていましたね。
小者ぶりを見せていたので、このドラマの感想としては「あんなヤツ」的な書き方をしていましたが、実は好きという訳でもないのですが、嫌いではない人物です。
振り返ってみれば、彼は若輩でありながら歴史のキーパーソン。歴史に選ばれてしまった子供でした。その役目を終えると、いち早く現の世界から消えていってしまったのも、何かの符合のように感じます。
上地君、好演していましたね。お疲れ様でした。
◇子供たちからの絵と袋のプレゼント。ささやかな良いシーンでした。
◇オマケ
ちなみに「憑神」も見ました。妻夫木クンは同じ時代劇でも、そちらの方が生き生きしていました。でも映画は趣旨は分かるけれども、描ききれていない様な気がしました。主人公ラストの映像が取って付けた様だったのが非常に残念なような。
生き様、死に様。そんなことをふと思うような映画でした。
◇オマケ2
月9のドラマはほとんど見ませんが、次はちょっと見たくなってしまいました。昨日の「堂本兄弟」に番宣もかねて、小栗君と水嶋ヒロ君が出ました。小栗君の話で、酔っ払って駐輪所に寝てしまったと言うのは、驚き~。誰かそういう場面に遭遇したラッキーな人はいないのとかちょっとだけ思ってしまいました。ラッキーって言うのもおかしいけれど、あなたに魅力があるならば、そこから生まれる恋もあるというものですよ。
三成去って、次に出陣ですね。
でも真面目な刑事に小栗君。暴走族上がりの型破りデカに水嶋君。ありがちな設定ですが、時代は変わったんだなぁと思いました。
その設定、昔は松田優作と中村雅俊の「俺達の勲章」で見て、最終回で泣いたよ~・・・って歳がばれる~(汗)
ちなみに私は堂本光一くんがお気に入り。今度のキンキの歌は「桟橋」なんて言葉も出てきちゃうバリバリ歌謡曲(の様な気がしました)。忘年会には是非この歌で盛り上がっていただきたいものです。
「直江を差し出します。」
それは本多の次男の政重を兼続の長女お松との婚儀を意味し、すなわち将来的には家督を譲ると言うものでした。
本多の横には、またもあの遠山がいました。彼がいちいち兼続の言葉に、相手にされないながら言葉をさしはさむのが、うざさ全開でした。ウザイと感じさせるのが狙いかも知れませんが、彼の存在に何も意味を感じないのですが、どうなんでしょうか。
悪役キャラは家康が一手に引き受けているので、小者キャラは要らないのでは。
でも、一緒に見ていただんなもとうとう言いました。
「この家康は本当に酷く描かれているね。ここまでそう描く必要があるんだろうか。」
前回の39回の感想で、ちょっと私が感じた事。
「時々不愉快」と言う言葉で表現させていただきましたが、そう感じている人は私だけではないのだなと思いました。
敵キャラが強ければ強いほど、その戦いの物語は面白くなりますが、その敵の強さには「美」が伴っていなければ魅力などないが如き。
「正」と「邪」は視点が変われば一転するもので、「水戸黄門」じゃあるまいし、もっと複雑なニュアンスが欲しい所です。
まあ、この「天地人」は単純でわかりやすいところが受けているようなので、それも仕方がないのかもしれません。
さて今日のお話ですが、上杉の処分についての物語。
切腹、家断絶の危機が迫っても決して謝らない上杉。人々が「終わったな」とか「さすがだな」と噂しあうシーンは面白かったですね。
福島が庇い、小早川が動き、淀君が頼み、秀頼が命を下し、本多が口添えをする。多くのものに守られて、上杉は120万石から30万石になり米沢に移封になります。
12万のパート収入が3万になったって大変なのに・・・
って、またも小市民的発想ですが、その方がピンと来る私ってどうなの・・・。
「よし!節約しよう!!」と言っても、そんな程度ではきかない減収ですね。
でもあくまでも「美しき義」に生きる上杉ですので、ひとりとして放免することなく、殿を信じて付いて来る者はすべて面倒を見ると兼続は伝えます。米沢に移る日、誰一人離れて行くものもなく、上杉は6千の家臣と共に米沢に移っていったのでした・・・・メデタシメデタシ
おっと、ついそんな風に言ってみたくなってしまったのですよ。でも夫が言いました。
「米沢藩は、この先ずっと財政的には大変なんだよなぁ。」
えええ~。
するってえと、300年ずっと貧乏ってことですかい、だんな?
ザワザワザワ
その真実は分かりませんが、義とは厄介なものでござると、つい呟いてしまった私です。
◇今日は福島も頑張りましたが、上地小早川の見せ場でしたね。それなのに6字で終わってしまっては悪かったかも。人は何かを通して、その人に合わせた速さで成長していくもの。小早川は最後の日々の中で、その成長を(このドラマの中では)見せていましたね。
小者ぶりを見せていたので、このドラマの感想としては「あんなヤツ」的な書き方をしていましたが、実は好きという訳でもないのですが、嫌いではない人物です。
振り返ってみれば、彼は若輩でありながら歴史のキーパーソン。歴史に選ばれてしまった子供でした。その役目を終えると、いち早く現の世界から消えていってしまったのも、何かの符合のように感じます。
上地君、好演していましたね。お疲れ様でした。
◇子供たちからの絵と袋のプレゼント。ささやかな良いシーンでした。
◇オマケ
ちなみに「憑神」も見ました。妻夫木クンは同じ時代劇でも、そちらの方が生き生きしていました。でも映画は趣旨は分かるけれども、描ききれていない様な気がしました。主人公ラストの映像が取って付けた様だったのが非常に残念なような。
生き様、死に様。そんなことをふと思うような映画でした。
◇オマケ2
月9のドラマはほとんど見ませんが、次はちょっと見たくなってしまいました。昨日の「堂本兄弟」に番宣もかねて、小栗君と水嶋ヒロ君が出ました。小栗君の話で、酔っ払って駐輪所に寝てしまったと言うのは、驚き~。誰かそういう場面に遭遇したラッキーな人はいないのとかちょっとだけ思ってしまいました。ラッキーって言うのもおかしいけれど、あなたに魅力があるならば、そこから生まれる恋もあるというものですよ。
三成去って、次に出陣ですね。
でも真面目な刑事に小栗君。暴走族上がりの型破りデカに水嶋君。ありがちな設定ですが、時代は変わったんだなぁと思いました。
その設定、昔は松田優作と中村雅俊の「俺達の勲章」で見て、最終回で泣いたよ~・・・って歳がばれる~(汗)
ちなみに私は堂本光一くんがお気に入り。今度のキンキの歌は「桟橋」なんて言葉も出てきちゃうバリバリ歌謡曲(の様な気がしました)。忘年会には是非この歌で盛り上がっていただきたいものです。