昨日4月2日に放送された「人間の証明」は、静かに始まり静かに終わったと言う感じで、なかなか良かったですね。そのドラマの感想は、また別に書こうと思っています。その前にやっぱりこのドラマの要になっている西條八十の「僕の帽子」を載せておきたいと思うのです。
4月2日に「人間の証明」があるよと言うお知らせのような記事「メモ「人間の証明」は4月2日」の中で、リンクはしたもののこの詩を貼ったりしなかったのは、この詩の中に物語の確信になることが含まれているからネタバレになってしまうからだったのです。
ドラマの始まるインタビューの中で藤原竜也さんも「誰もが知っている話」と言っているように、サスペンスでありながら知名度がすでに高すぎて、犯人が誰なのか「ストハー」とは「キスミ―」とはという謎ときには、もうそんなにはワクワク感は得られない人も多数なのかもしれません。でもそれはある程度の年代に限ってで初めてという若き人たちも多数いるんじゃないかとも思うのです。それでネタバレになるモノは直接には避けたと言うわけなのです。
まあ、そのように若い人が私のブログに来ていただけるかは、そろそろ危うくなってきたかもしれませんが。
「人間の証明」を知ってると言う方は、過去の映画やドラマとなんとなく比較して見た方もいらっしゃると思います。
私も松田優作主演だった「人間の証明」は、忘れられない作品の一つです。
だから何か物が見つからない時などに、自然にこの詩が口について出ると言うほど刷り込まれたように思います。
しかし森村誠一氏は、この詩を読んであの物語を考えたのでしょうか。
霧積とキスミー。
KISS ME. と母の愛。
失ってしまったものの思慕。
過ぎてしまった時間。
「母さん」と八十は呼びかけていますが、きっとこの母も記憶の中の母に違いないと、私は思います。
この素晴らしい詩があったから、「人間の証明」と言う物語が生まれたのですね。
「ぼくの帽子」 西條 八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。