森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

おんな城主直虎第14話「徳政令のゆくえ」

2017-04-12 15:27:14 | ドラマ (大河)

 遅ればせながら、毎回のタイトルが映画タイトルのパロディだって事にようやく気が付きました。前回のタイトル「城主はつらいよ」で
「なあに、これってまるで・・・・。あれっ、あれれ、、あれれれれ。」って、気が付いた次第。なんかタイトルは前から「これってまるで」と言うのが多くておかしいとは思っていたのですが。 もうこの件は知ってる人がいっぱいいました。遅いのよね、私・・・(^_^;)

 

まっ、感想も遅くなってしまったわけですがー。

 

だから今回のタイトルはは「告白の行方」からかな・・・なんて言う楽しみ方もありますよね。「真実の行方」だって言う方も。そのお話は知らないなと検索したら、大好きなエドワード・ノートンも出るリチャード・ギアの映画でした。「ゆくえ」のひらがなに拘るなら「青空のゆくえ」と言う青春映画もあるみたいで・・・・・って、なんかこんな楽しみ方は邪道のような。イヤおまけの楽しみ方と思えばいいのかしら。

だけどあの「赤ちゃんはまだか。」って内容もそのものだったそれの元ネタが分からなくて、それも検索。今時の検索機能って素晴らしいですよね。「まだか」で出て来てくれるのですもの。「田村はまだか」と言う小説もあるみたいだけれど、これは小説だし。nhkのドラマで「憲法はまだか」と言うのがあるらしい。ジェームズ三木シナリオで、なかなか面白かったみたいなんだけれど、ドラマもアリなのかと思ったら、訳が分からなくなるって感じもしてしまいます。

だいたい来週の「おんな城主対おんな大名」なんか、みんなパッと思い浮かぶものが違うんだろうなって思います。

私がパッと思い浮かんだのは「サンダ対ガイラ」。

知ってる?

これは知っていたら歳がばれそうなものですが、このジャンルではかなりの(昔レベルで)傑作で、お好きな方は年齢に関係なく知っていると思われるので、一概には年齢がばれると言う作品とは言えないかもしれませんね。

 

と、あまり本編とは関係のない長い前置きはこの辺で、今回の感想です。

今までの直虎の性格を思うと、きっとこんな風に終わるんだろうなと何気に予想はついていました。予想がついていたからと言っても、感動しなかったわけではありません。

そう言えば、宝塚のお芝居の感想にも、私は「ベタな」と言う言葉を使いました。この使い方間違えてないよなと言う意味で検索してみた所、「更に「ありきたり」という意味から派生して「面白くない」といった意味でも使われる。」とありまして、私の場合は「意味でも」の方は当てはまらないなと感じました。

人はそんなに予測が付くようなベタな展開を嫌うのかと言えば、そうではないんじゃないかと思います。サスペンスだとがっかりする場合もありますが、ドラマの予測または予想は、自分が思い描くドラマ展開で、ある意味理想&願望なのかも知れません。

 

放置されていた苗を植える事によって、隠れていた農民たちを引っ張り出すと言う直虎の作戦は、これをはっきりと口にして綺麗ごとで済ましてなかったところに好感が持てました。

アリがちな、これこそ「ベタな」情に訴える作戦と言うわけではなかったのですよね。

大切な事は、ちゃんと話を聞いてもらう事だったのだと思います。

話せば分かることが世の中にはたくさんあると思います。でも最初から敵対心の壁を作っていたり、自分たちの我だけを貫き通そうとか、またあるいは自分の非をいかに誤魔化そうとかで、確かに話し合いの場所が作られても、意味をなさない場合も多いかと思います。それでも、まずは同じ席について耳を澄ますことは大切な事なのですよね。

そしてその解決策と言うのも、目の前の事だけに終始せず三つ先ぐらいの事を考えていかなくてはならないと言う事なのですよね。

 

蜂前神社の禰宜は人心を掴む者は厄介だのような事を言いましたが、政次の
「知っている、ずっと昔から。」が心に残りました。

 

ところで今回は予想が付くと言う展開の他に、予想外の驚くべき展開がありましたね。

万策が尽きたように思えた直虎が、徳政令の書状をしたためようとした時に、いずこからか現れた亀。

「かめ~ !!!!」って吃驚しました。

亀が亀に姿を変えて、直虎を止めに来たって解釈で良いんですよね・・・・・ って、良いのか、それで ^^

しかもその亀、直虎の話かけに応えるように首を伸ばして・・・・

「亀が演技している~ !!」と、私の中ではかなりのハイテンションになってしまいました。

 

今時は、動物のプロダクションがあるって言うけれど、凄いな。演技出来る亀もいるのかってな感じ。

しかもこのシーンの少し前に、今まで見た事もないような子供の頭がちょっと映るじゃないですか。

「えっ、竜宮小僧って本当に出すわけ ?」と思っていた所にこれですよ。

 

ムムムって思いましたよ。

 

もしかしたらアレは、政次の甥の頭で、密かに蜂前神社に亀を放せと命を政次から受けていたのではないかと思ってしまったのです。

いまだに政次を信じたい私は、超常現象に対抗する大槻教授のように、そのシーンをいろいろと考えてしまったのでした。

だけど放された亀が丁度書状の上に来ると言うのも偶然過ぎますし、やっぱり亀(直親)が亀に姿を変えて来たと言う事にしましょうか。こういう話が好きな人は逆にたくさんいると思います。

 

因みに、これが猫だと書状の上に座ると言うのは偶然ではありません。

猫ってなんで、紙があったらその上に座るのが好きなんでしょうね。

 

コメント (6)
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