(またもノロノロと書いていたら日付が変わってしまいました。24日の気持ちで書いています。)
昨日、何気なくツイッターを眺めていたら、
「海老蔵さんのブログ・・・・、きっと、そうなんだ。」と言うツイートが目につきました。
あっ、と思い彼のブログに飛んでみると
「人生で一番泣いた日です。」とありました。
思わず、私、変な事ではありますが、夫にメールで知らせたい衝動に駆られました。
「いやいや、待て待て、このような事で仕事中の彼にメールなど送ってはいけないな。」と思いなおし実行には移さなかったのですが、ずっと彼女を見守ってきた人には、それぐらいの衝撃はあったのではないかと思います。
私は麻央さんがブログを開設した時に、この若い夫婦が信じる未来を一緒に信じてあげる事が出来ない自分が分かっていたので、彼女の読者には敢えてなりませんでした。だけど海老蔵と言う役者が好きなので、以前から彼のブログの読者ではあり、時々は読んでいたのでした。
加えて私はピグゲームもやっていて、アメブロに登録してるので裏のマイページで、読者に登録していなくても二人のブログの状況が分かるようになっていたのです。
それに私は麻央さんのブログは読んでいませんでしたが、夫殿が逐一
「麻央ちゃんは、また入院しちゃったね。」とか「退院したね。」とか「とうとう家に帰ってきちゃったね。」とその動向を教えてくれたものですから、なんだか見守って来たという気持ちになってしまったのだと思います。
「読んでいなかった。」と繰り返し書き込んだ後に言うのもなんですが、なんでだかほんの数日前に、たまたま心が動いて、そのアメブロのマイページの横の欄にある彼女のブログのページをクリックしたのです。
と言う記事でした。
本当に、そこから生きる喜びが伝わってくるようなそんな気がしました。
今ある命を大切に生きていると思いました。
その矢先です。そう。そのブログが更新されたのは20日だったのです。そして亡くなられたのは、その二日後・・・・・。
思わず、その前の数日前まで遡って読んでしまいました。ほんの数日前の16日には息子ちゃんが大歌舞伎に出る事を心配しながらも喜んでいるようにも見え、チケットはこちらと応援していました。
病気色には染まりたくないと言っていた麻央さん。
素敵な人でしたね。ブログから発せられた言葉で励まされ続けた人も多かったのではないでしょうか。
病と闘うと言うのは、日本人特有な考え方なのだと以前どこかで読んだような気がします。
でも彼女は、ずっと闘い続けた美しき女戦士だったなと私は思いました。
可哀想だと思われたくないというのも、彼女の言葉の中にあったように思います。
だけど若すぎて逝く人を想う時、私はやっぱり可哀想だと思ってしまうのでした。
残された若い夫も可哀想だ。母を失った子供たちも可哀想だ。やっぱりそう思ってしまうのでした。
でも海老蔵さんの
「子供達のチカラが希望」と言う記事を読んでジーンとしました。
役者としての海老蔵を、今まで通り応援して行こう、好きでいようとそう思ったのでした。
麻央さんの最後になってしまった記事の「オレンジジュース」の最後の言葉・・・
「皆様にも、今日 笑顔になれることが
ありますように。」
やはり彼女に、可哀想と言う言葉は似つかわしくないのかもしれません。
ありがとう、素敵な女戦士。
そして、今は安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。