森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

私のお母さんはこんな人

2019-02-01 01:20:58 | 家族スナップ

 

1月27日、28日は実家に帰っていました。

最近では母の家に行くと、お昼も近くにある美味しい中華屋さん(母の奢り)で食べてから家に帰って来ることが多いのです。でも前日も母にはたくさんお金を使わせている事が多いので、今回は私が作る事にしました。

「鶏肉と玉ねぎと卵があったらいいのだけど。」と私は言いました。

「ああ、それなら家にあるよ。」と母は言いました。

だけどそれからそのたった三つの材料を、何回も聞いて来る母。

「もう、なかったら、朝、買いに行くから気にしないで !」と、言っても、

結局5回ぐらい「鶏肉卵玉ねぎ」と呪文のように言いました。

 

こんな風に書くと、私の母は結構もう危ないのではないかしらと思われるかもしれません。

一応、まだ大丈夫みたいです。

この一応と言うのは、世間的な見解で言えば、このくらいの繰り返しは何でもなく、病気的な認知症レベルではないと言う事です。

歳を取ると、若い時からの癖のようなものが、さらに強く出る事があるじゃないですか。

言うなれば、母が何回も聞いてきたのは、それのような気がするのです。

母は若い時から、人に何か頼んでも、人の都合などお構いなしで、すぐにやらないと気が済まないようで、私が自分の用を終えて、さあ、さっき頼まれたことをやろうかなと思うと、とっくに終わっていたなんて不愉快な事がたびたびありました。つまり「待てない」のです。

ちょっとしたことでも、それが終わるまでミッションのように気にかかる。そんな感じ。

どうもあると思っていた鶏肉がなかったみたいで、何回も確認に来たみたいなのです。そして

「これでも良いのかしら。」と持ってきたのは、鶏のささみでした。

「別になんだって良いのよ。って言うか、これはチルドに入っていたのよね。」とちょっと過ぎている消費期限をの方が気になり、指を折った私でした。

まあ平気だなと言う結論になり、母と私は違った意味でお互いにホッとしたのです。

 

だけど翌日、母の用意した量の多い朝食を食べた後、母はすぐにお昼のご飯のためのお米を洗いました。

それを見て、「あああ」と私は嘆きたくなりました。

 

そんなに張り切ってお米を洗うなんて止めてもらいたいと思ったからです。

だって、皆様は私が何を作ろうと思っていたのか、察しがついているのではないかしら。

なんたって「鶏肉、玉ねぎ、卵」ですよ。もうあれしかないじゃないですか。

張り切られると、どんなご馳走を作るんだって後ろめたい気持ちになるじゃないですか。

 

なんだかんだと言ってお昼・・・・・。

食事を作ると言っても、それしか作らないのであっという間です。

途中でふと

「あっ、シイタケとかあったら良いかな。それ有るかしら?」とうっかり聞いてしまいましたが

「ええっ ! そんな急に言われてもあるわけがないでしょ。」とたじろぐので、

「あっ、今のは忘れて。思いついただけだから。」と、発言自体をなかったことに。

そりゃそうですよね。突然対応は嫌なお年頃だと思いますよ。

 

そして使ったボールなどを片付けていたら、何かの話の流れで傍に立っていた母が、

「私はお料理は昔から苦手で・・・。」と言ったので、

 

「知ってる !! 凄く知ってます !」と即答する私。

で、二人で顔を見合わせて笑ってしまいました。

(でもね、私は母の作ったおはぎとか、お汁粉とかお赤飯とか混ぜご飯とか、いろいろと好きなものがたくさんあったのよね。)

見た目は、さほどと言う感じですが、ささみのお肉で作った親子丼は、美味しいのですね~。私、ちょっと学びました。

 

「さあ、お昼も頂いたし帰ります。」と言うと、母は

「座ってばかりいても仕方がないから、送りがてら歩いて来よう。」と言い駅まで送ってくれたのです。

駅に近づく頃、母はちょっとした自慢話をしました。それを聞いて私は

「お母さん、あのね。もうお母さんは十分にそれを許される歳になってしまったのだから、何も問題はないけれどね、そのお話、昨日から今までで、私、三回は聞いたよ。」と、容赦のない事を言いました。

えっ?

酷い娘だって?

いえいえ、そんな事はないですよ。

「えっ、そうだったの。」と母。そして二人でカンラカラカラと笑いあったのでした。

 

不精をしてエレベーターで二階の改札に向かう私。

扉が閉まる時に

「じゃあ、またね。」と言い、そして「バイバイ」と又言いました。母は黙って手を振っていました。

扉が閉まると、いつもなら反対側に出口が変わるので、体の向きも変えてしまうのですが、なぜかその時はずっと同じ方向を向いていました。

そしてその時、中から外がずっと見えるエレベーターだと言う事に初めて気が付いたのです。

母は立ち去らず、ずっと同じ場所に立っていました。あがって行く私をまだ見送ってくれているのかと、また小さく手を振る私。

でも母は、上など見上げていませんでした。

閉じたエレベーターの扉をじっと見つめていたのです。

娘が去ったその扉を。

 

※       ※

いつか何気ないこんな日の事を、私は思い出すのかも知れません。

 

※       ※

私の誕生日は、母の出産記念日。

お母さん、私を産んでくれてありがとう。

私は産まれて生きて、そして幸せです。

 

コメント (4)
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