【画像は関係がありません。絵がないと寂しいので「イングリッシュガーデン」の薔薇を載せています。】
またも半年続いたドラマの感想を、1回で書くと言う無謀な事をするわけですが、そんな訳で、上手く書けるかどうかは疑問です。
「おちょやん」からの「モネ」でしたので、最初は、このユルユルと進んでいるかのようなテンポに、戸惑いを感じました。
だけどむしろ、スローに見えたそのテンポに何故か癒されるような気もしたのです。
これは物語がスローなテンポなのではなく、ヒロインのキャラがそう思わせていたようにも感じました。
ところがこの物語は、癒しとは関係のない、災害によって傷ついた人たちの再生への物語で、決して甘い内容ではなかったのでした。
それでも何か勘違いをさせるものがあったとすれば、それは登米を舞台にしていた頃の「モネ」がそう思わせたのだと思います。
夏木マリさんが演じた新田サヤカさん、本当にカッコ良かったですね。
彼女だったら、何でも分かってくれる。彼女が来たから大丈夫。そんな安心感があって、こういう大人・・・・・、いやもう大人なので、こういうシニアになりたいものだと憧れました。
それにやっぱり、私は森が好きで、だからなのかも知れません。
海と森とが繋がって輪になっていると言うようなお話も、凄く良かったですよね。
あっ、そう言えば、私的には大事な話を思い出しました。驚いたので記事にしようと思っていたのですが、すっかり忘れていた事です。東葛地域の中学一年生の国語の教科書を読んでいたら、畠山重篤氏の「森には魔法使いがいる」が載っていました。
そこには「モネ」で言われていた事につながるような事が書かれていて、タイムリーだなと思いました。今時のお子様はあまりテレビなどを見ないのかもしれませんが、たまたま見ていた人は、この単元の国語がよく理解できたことでしょう。
そのお話の中には、
・60年以上前に気仙沼・舞根に「カキ研究所」が設立された。
・カキの赤ちゃんに食べさせる植物プランクトンの培養が上手くいかない。
・すると今井先生が「雑木林に行って腐葉土を集めてきなさい。」と言われ、若き研究者は「えっ、森に行くのですか。」と驚くのです。
そっしてお話はつづき、そしてその中に
「漁師による森づくりは現在まで続き、森は大きくなり、川も綺麗になりました。省略・・・
豊かな海が蘇えってきました。」と言う文が登場してくるのです。
私はドラマのOPやEDのテロップなど、あまり見ない人なのですが、ライター様は、参考文献としてお読みになったか、または現場でリサーチしたのでしょうね。
それを読んだ時、私は
「あっ、『モネ』じゃん。」と思いました。正確に言うと、「モネの世界観」という事でしょうか。
気象予報士などにならなくても、その登米でのモネの成長譚でも良かったのになと、極端な事を思っていたのですが、当たり前の事ですが、残念ながらモネは東京に。
だけど東京でのお話も面白かったです。
普通の暮らしの中で、草臥れて引き籠ってしまった人が、気配と音だけで登場してきました。最後まで姿を見せなかったのに、本当に存在を感じさせて見事でしたね。
東京のキャストさんたちも皆良かったです。だからエピソードも面白かったですね。
時々、とんでもないシーンを混ぜ込んできますよね。
浅岡さんとお父さんのシーン・・・・・^^
西島さんと内野さんと言ったら、ねぇ💛
(『昨日何食べた?』、今度映画でやるから見に行こうかなぁ♪)
物語的には、気仙沼に帰って来ないほうが面白かったのになどと思ってしまったりもするのですが、帰らないと「おかえりモネ」にはならないものねと思っていました。
だけど本当の「おかえり」は、最終回で語られたのですよね。
やっと、モネがあの3.11の時、そこに居なかった後ろめたさを乗り越えて、みんなの元に本当の意味で帰ってきたことを指して、幼馴染の子供たちに「おかえりモネ」と言われたことが、本当の「おかえりモネ」の意味だったのかもしれません。
でも帰る所があるから、「おかえり」になるのですよね。
お父さんと、おじいちゃんが牡蠣棚に出掛けていく。みぃちゃんが東京に出掛けていく。皆「行ってらっしゃい。」と言う。
だけど、それはまた「おかえり」と言ってもらえる場所があると言う安心感があるからだと思います。
自立しようとする子供を、寂しくてついつい引き留めてしまう事もあるかもしれませんが、この「おかえり」を言ってあげられる、そんな場所の人になりたいなと思いました。
みいちゃんもやっと自分の心のうちを話せて、大学に行ける事になりました。
最終回近くにぶち込んできた、みぃちゃんの秘密。
あの時、全く動こうとしてくれなかったおばあちゃんを置いて、自分だけ逃げたー。
それをずっと苦しんで、ここから離れてはいけない。この場所で人の役に立つことをしていたら、きっとその罪も許されるかもしれないと、みぃちゃんは悩み続けていました。
あの震災の時、隣の家のおばあちゃんの様子を見に行って、動こうとしないその老人を説得している間に、一緒に津波に巻き込まれてしまった少女の話はがありませんでしたか ?
あの少女も「じゃ、仕方がないな。」と逃げて行ったら、みぃちゃんのように10年も苦しんでしまったのかもしれません。場合によっては、もっとずっと。
みぃちゃんの告白を聞いて、私はあの津波の時に知った「津波てんでんこ」と言う言葉を思い出しました。
それは「地震があったら家族のことさえ気にせず、自分の命を守るために、てんでんばらばらに直ぐに避難せよ」
と意味。
だけどそれは一緒にいた人をと言うわけではないのですよね。厳しい話だと思いました。
だからモネの諸々の提案の中にも、それに対しての事もあったような気がします。
うちの地域は、山なし川なし海なしで、災害のリスクは少ない方だと思うのですが、それでも一応日頃から自治会は独居老人の把握などをしているわけでが、あまり親身ではなく、役員が終わったら忘れてしまい、いざという時にどれだけの役に立つことか分からない事です。
いろいろと考えなくちゃいけない事って、ありますよね。
人は簡単には復活できないー。
時には10年だってかかる。それ以上の人だっていると思うー。
お父さんにも想いがあり、お母さんにも打ち明けられない教師を辞めた秘密がありました。もちろんみぃちゃんにも。そしてモネの周りでは震災に関係がなくても、菅波先生にも生きてきた道には、悔いる出来事がありました。
それでもゆっくり時を進めて、みんなを未来に運んだ素敵な物語だったと思います。
最終回、りょうちんの船が出航します。
感動的なシーンでした。
涙が出そうになりました。
その及川亮を、今ノッテいる永瀬廉が演じ、なんたってそのお父さんが浅野忠信なもんだから、思わずこっちの家庭の物語だったような錯覚に陥ってしまいました。
浅野さん演じる新次が素晴らしくて、何度も泣かされましたから。
そして最終回のラストシーン。
菅波先生が、ヨロヨロになって登場です。
お話が2020年の春からいきなり「数年後」などと飛ぶので、コロナを飛ばすんだなと思いました。
だけど「2年半ぶり」と菅波先生は言いました。
モネは動じず
「私たち、距離も時間も関係ないですから。」と言います。
多くを語ってないだけで、コロナは飛ばされていませんでした。
あのモネの家に挨拶に来た時に、感染症患者の事で、東京に呼び戻されて、もしかしたら菅波先生はあれっきり会えてなかったのかもしれません。たぶんそうでしょう。
ずっと長い間、東京の人は福島には入れませんでしたし、医療現場の大変さを思ったら、会えるわけもない事でしたね。
菅波先生も、ずっと陽の光を浴びてなかったと言っていたので、本当に現場で大変な想いをし続けてきたのだと分かりました。
思わず抱き合おうとした時、モネが「あっ」と言って躊躇しました。
私は最初、意味が分からなかったです。
それがコロナでだったのかと分かったら、あとからじわじわと来ました。
コロナも乗り越えての2年半。二人は抱き合い、そして手を繋ぎながら、雨が降るからと家に帰るために砂浜を歩いていく所で終わりです。
そしてツイッターはやはりお勉強になります。
モネが「雨が降ります」と言ったのは、サヤカさんの言葉を借りれば「天の陰陽が整った」ということ。全てが整うと 雨が降るのだ。#おかえりモネ pic.twitter.com/Tb1AIVBO3l
— ひぞっこ (@musicapiccolino) October 28, 2021
最後の最後まで、意味があったところも素敵でしたね。