最終回シリーズ。
月曜日は、深夜枠放送の「ピースボート」が最終回でした。これはテレビドラマとしては、演技達者な濱田岳君の初主演となるもの。濱田君は井坂幸太郎原作の映画のほとんど常連で、気弱な青年だったり怪しい殺人者だったりとかなり魅力的。「平成夫婦茶碗」の長男役、「金八」でも憎たらしい生徒役で、私のファン歴も長いのです。
少々期待していました。
と言っても、このドラマを平日の深夜枠なのに見続けたのは、彼の演技に期待と言うよりは、ひとえにご贔屓筋の藤原竜也出演に期待してにほかなりません。
だけど初回、トイレに行っていたのかちょっと遅れました。そしたら死体で登場の竜也君、出番が終わっていたみたいです。そのシーンを見逃していたので、今か今かと出番を待っていた健気な私・・・・・
そして、とうとう彼を見ずに終わってしまいました!
カックシ・・・
でも予告編に出ていたので、気持ち復活♪
こうやって書くと、深夜に何やってんだかって感じ。まあ、それも遊びのうちでして。
この物語は、最初はそんなに彼は出演しなくても、お話の流れで行ったら最終回辺りには出演多数になるはずだと思いました。
なぜなら船に集められたのは、みな優の死、もしくは人生に関わっている者ばかりだからです。
その死の真相の種明かしに登場しないわけがありませんから。
と言うわけで、なんとなく見続けていました。
そして、このお話をじっと見ていたら、ある映画を連想してしまいました。その映画は「ゲーム」。仕事人間だったある男に、次から次へととんでもない事が起きるのです。そして最後は男は愛する弟を殺してしまい、自分もビルの屋上から飛び降りてしまいます。でもそれは仕事ばかりの兄のために、ちゃんと人生を生きて欲しいという願いから、弟が私財を投じて送ったプレゼントだったのです。もちろん弟は生きていて、兄も助かりますと言う映画です。
だから、私は竜也君の優は生きていて、そしてすっかり兄に依存して何も自分をもっていない秀の為のゲームなのだと期待しました。
だいたいこの物語は、「00」と刻印された謎の男は、すぐに「そのゲームの敗者は、即死亡」とやたら「即死亡」と言うのです。だけど一度たりとも死体など出てきません。残酷なシーンもないのです。いや、別にそう言うシーンを見たかったと言っているわけでは在りません。
だいたい船の上に集められた人々、ゲーム、即死亡、ネットのこちら側では見ている人たちが・・・って
「カイジ」、「ライヤーゲーム」「インシテミル」のごちゃ混ぜ版ですかと、最初は設定にウンザリしていました。
だけどそこにはお金は関係なく(最後に意味の余り分からないオークションがありますが)、晒していくのは人生です。自分の罪を悟った人々から下船して行きます。どうも下船は救いではなく死亡を表しているらしいのですが、どう考えても救いです。
この人たちは誰も死んでいないんだと、視聴者も薄々分かっているのですが、これはテレビの中のネットの窓から覗いている人たちも分かっているのだと思うのです。
これは誘拐された人たちから見ればとんでもない事だけれど、見ている側から見たら、ただ「死ぬ」と言っている遊びです。
そしてこのゲームの目的も最終回待たずに明かされます。
「ピースボートは、問題を抱えた人の心を命がけのゲームで更生させるという企画で、優(藤原竜也)が発案したものだった。」HPより。
更正なのですから、下船はやっぱり救いだったわけです。
そして、最後に残されたのは秀。
そして優の死の真相は・・・と言う所が、最終回の見どころであり、待ちに待った藤原君の見せ場だったと思います。
その期待は裏切られませんでした。
他の皆さんも熱演していました。だけどなんとなくドラマの設定に納得が言っていないので乗り切れず。だけど最終回途中までいたく感動させられてしまいました。
新世界の神は救いのないような孤独から逃れられなかった・・・・
なーんちゃって。
その世界の頂点に立ち、才能もお金も欲しいまま。だけど勝手は自分に寄り添ってくれた弟も、自分がいるが故に己を失ってしまっていて、恋人も逆らうことなく、なんでも同調して、さながら自分の影にしか過ぎません。みんなが手を取り合える世の中を目指したのに、そんな事を考えているのは自分だけ。
救いのない絶望に、優は自らの手で・・・
なんだか安心して見ていられるなって思いました。申し訳ないけれど、そこだけドラマのカラーが違っていました。
でも濱田君も、最終回でなんかようやく抜け出たような感じがしました。意外とこういう居直ったろくでなしを今までやった事がなかったんじゃないかなと思ってしまいましたが、なんかとなく似合わなくて、イマイチ主役の重さを感じられませんでした。が、ラストの復活の演技は冴えていました。ようやく彼らしくなったというか。演技力の定評がある濱田君ならこういう演技が見たかったというものを見せてくれたようにも思います。
「僕は諦めない。そして生きて、生きて、生きて生き抜く。」
おお~、と思っていたら終わってしまったのです。
要するに彼は下船したのです。汽笛の音でそれを表していました。
彼はしっかりと成長して下船していきました。濱田君の顔の表情でそれを表しています。
そして終わりです。
ムカッ~としました。
なんと言う駄作。
それは余りにも説明不足と言う点からそう感じさせるものがありました。
最終回を見れば、このゲームは罪ある人々も結びつかせようと言うもの。殺すなんて事は、既に分かっていたとおりあり得ません。正直に「死亡」と言う言葉を使わずに下船と言う言葉を使えば良かったのですよ。でも違う言葉を使ってしまった以上は種明かしが必要なのですよ。
また謎の男は、自殺した設定になっているけれど、それさえもピストルの音だけ。死んでいなくて良いんですよ。だっておかしいじゃない。誰が秀君に出口はこちらですよとご案内したのですか。勝手に行けるんだったら、とっくに行ってるでしょう。
かっこ良く決めちゃったけれど、優の自殺だって変です。ここまでの企画をして丸逃げですか。他の人はともかく弟の復活は気にならなかったのだろうか。
ぷりぷりしていたら、ツイッターの書き込みに「舞台劇みたいだ。」と言うお言葉が。
ああ、成る程なあと思いました。本当に舞台劇みたいだと思いました。
だけどこれは褒め言葉じゃないですよ。
舞台の自由さは、簡単には語れないけれどハンパないものがあるんですよ。何もない空間で「行けども行けども真っ暗な宇宙だ。」と言ったら、そこは宇宙になってしまうし、しばらくしてその彼が「ああ良かった。電気がついた。僕はこの宇宙と言うパチンコ屋の常連なんだけれど、トイレには行っている間にみんな消えちゃったんですよ。」と言ったらパチンコ屋さんになってしまうのです。
でも大切なポイントは、ドラマに舞台みたいと言われる演出を持ち込んではいけないと思うのですね。
かつての大河「天地人」。何回か舞台演出のような回が在りました。どれだけ大河ファンのブーイングを受けた事か。ドラマには舞台ほどの自由度はないと思います。だから同じことをやったら作り手の自己満足に感じてしまうのかもしれません。
でもまあ、しばらくして冷静になってみると、私の目当ては竜也君視聴なので、最終回はそれなりに満足だったので、文句を言う事もないかと思えたのでした。オワリ。
※ ※ ※ 以下は妄想的願望ラスト。これも舞台っぽいけれど、こういう風なのが好みかな、みたいなもの。
「生きて、生きて、生きて、生き抜いてやる。」
ギィギィギィ、扉は開く音。なぜか神々しい光。
そこに立っているのは優。
「生きていたんだね、優。そうだよ、諦めちゃいけないんだよ。」
優はそっとその手を差し出す。その手を秀はガシッッとつかむ。
パンパンパン。そのかなり後ろで謎の男がゆっくりと拍手をする音。
もしくは今までの全員参加の拍手。
このドラマ、ほんの30秒か1分だかの出番だけを目当てに毎週見ていました(笑)。俳優さんたちに比べてもったいない脚本でしたよね。
3人ほど下船したところで、これは船ではないのではないかと思い、その後、全て優さんの計画で殺されたのも誰かに頼んでのことではなかったかと思っていました(まぁ、当たらなかった訳ですが)。
“舞台の自由さは…ハンパない”
本当にそうですね。役者のセリフ一つ、動き一つで時間も空間もその人が誰であるかさえも自在に超えていくことができる。だからこそ、それを成立させるだけの本当の力がいるのでしょうが。。。
来年早々の舞台はご覧になる予定ですか?
>ほんの30秒か1分だかの出番だけを目当てに毎週見ていました
全くもって、同じくですよ(笑)
最初「ピースボート☆竜也」と言うタイトルにしたのですよ。そう言う視点で書いても良いかなと思ったのですが、ふと作品に触れてしまったら、違う方向に。タイトルを変えました(汗)
優の寂しさ、あちらこちらで滲み出ていましたよね。空しく差し出された彼の手を、最後はつかみ返して欲しかったなと思いました。
優の死は、何げに推理したくなりましたよね。そしてその死に一番関与してるのは優だと感じましたよ。しゅうさんは依頼殺人ですよね。私は「生きている」だったのですが、自殺とは・・・。
来年のお芝居は、楽しみにしています。チケットはこれからバトルですが、もし全敗しても、コクーンなので当日券に期待するという楽観的な感じです。