もう少しドラマブログを続けます。
いろいろと最終回になってきましたので、見ていたドラマの感想などを書いていきたいと思います。
最初は、
「心の傷を癒すということ」。
このドラマは、2月のまとめ記事の中に書き込んでも良かったのですが、その時は「知らなくていいコト」と一緒に書こうと思っていたのかも知れません。なぜ一緒にかと言うと、その理由には「ハハーン」と思い当たる方もいらっしゃるかもしれませんね。
両方とも柄本佑さんが出演したドラマでした。
かっこ良かったのですよね~、この二つのドラマの中で、彼は。
なんたって、この人を知ったのが「ゲゲゲの女房」の地道に点描を討ち続ける菅ちゃんで、その登場の仕方が強烈で(信じられないようなへたくそな絵を持ってきて、弟子にしてくれと言うシーン)、すこぶる情けないような感じの人で、あまり好きな言い方ではありませんが「残念な人」と言う感じを醸し出させていたのですよ~。
それなのにね。
今ね。
「知らなくていいコト」なんか、本当に魅力的でした。
ドラマの内容の話になかなか行かなくてすみませんが、先日、ちょっと驚いたのは、CSチャンネルのどこかで夫が「怨み屋本舗」を見ていて、「懐かしいね。」と私もチラ見をしていたら、彼が出ていたのです。
そして言いました。
「東京に出て来て、怨み屋さんだけが、僕に親切にしてくれたんだ。」
このセリフ、いつも通り正確ではありませんが、「怨み屋本舗」の中で一番印象に残っていたセリフだったのです。それを彼が言っていたのですね。
「この人、こんな深夜ドラマにも出ていたんだね。」と夫も言いました。
「皆、最初の頃はこんな風に無名で頑張っていたのよね。」となんだかしみじみとしたのでした。
と言うわけで、ようやくドラマの感想ですが、この「心の傷を癒すということ」ですが、最初の主人公の安は車いすに座ってピアノを弾いていました。これは阪神大震災の時に負傷などをしてしまったのだろうかと、思ってしまいました。
だけどそうではなかったのですね。
このドラマは実在の安克昌さんをモデルにしたものです。
詳しいドラマの解説などはこちらを参考にしてみてください。→「心の傷を癒すということ」
そしてこのドラマのHPのスタッフブログの言葉をお借りしたいと思います。
『安さんが実現を願った「傷つきに優しい社会」。心に傷を抱え、弱った人や遅れた人を切り捨てるのではなく、ちゃんと寄り添っていく。誰も一人ぼっちにさせない。そういうことができる社会になってほしい。
安さんの願いが叶いますように、という祈りをこめたこのドラマ。』
伝わってくるものが、そして心に残ったものがたくさんあったように思いました。
そして次は、やはり
「知らなくていいコト」です。
私、これが上に書いた「心を・・・・」と大河ドラマと「相棒」を外した中で、一番楽しみにしていたドラマだったと思います。
母が臨終に残した父親の名はキアヌ・リーブス。ケイトは自分の父を探し出しますが、その父はなんと無差別殺傷事件の乃十阿。いきなり加害者家族になってしまったケイトでしたが、それが職場でバレテも、皆意識が高いのか、周りの人は優しい人々ばかりでホッとしました。いや、ひとりだけ違いました。それは恋人だった野中。もう本当に彼はクズで、よくジャニーズがこれをやってるなと思いましたが、このクズの野中を最後までやりとおした重岡大毅さんは頑張ったなと思いました。
ラストの彼のオチ、「闇落ち」と言う作品を書いて作家デビューには笑えたし、「ああ、良かった。」とも思えて良かったです。
「もう本当に彼はクズで」と書きましたが、こんな人は、ごく稀にいる人ではなく、むしろこういう人の方が多いのではないかと思います。元恋人の事を他のマスコミにリークした行動を言っているのではなく、自分の血筋に犯罪者の遺伝子を入れたくないというような云々・・・・・。
ただ一生守ると言った翌日に、そんなのは当たり前の事でしょと言う感じで、別れを言いに来た野中はやっぱりクズだと思いますが。
明るいコミカルな展開の割にテーマは重かったのです。
だけどやっぱり乃十阿は冤罪。しかしそれは幼かった息子の悪意ない行動が引き起こしてしまった事をかばったのです。作中でも、もしもこの時、この子供のやった事だと分かっても、子供は3歳ぐらいで罪には問えなかったと語られます。だけど乃十阿は責任を取ったのですね、親として。
この展開だけでも凄いなと思ったのですが、それを「書け」と言う編集者も恋人の尾高も凄まじいなと思いました。ケイトは悩みました。乃十阿が人生をかけて秘したものを暴き、何も知らず(覚えていなくて)に幸せに生きている人をさらけ出すことになるのですから。
ケイトの記事は、なかなか良いものでした。このドラマのテーマはここから来ているのだと思いました。だけどその記事は世間には出なかったのです。やっぱホッとしました。何が正解かそうでないのか分かりません。
どんなに良い記事であっても、その記事はセンセーショナルなものに相違なく、多くの関連した人々、その中には被害者の方々もいて、皆それぞれに傷つくかもしれません。
ただ世に出なくても、書く事によってケイトは前に進む事が出来たことは間違いのない事でしたね。
これは本筋も面白かったのですが、毎回のスクープネタの部分も面白く引き付けられました。
もちろん尾高とケイトの展開にも、・・・・なんて言うのかな、こういうの…胸キュンでも無く…うふふって感じですか。
そんな感じで「うふふ」と見守っていましたが、なんたって不倫なので、最初から「二人は仲良く結ばれて、メデタシメデタシ」にはならないと踏んでいて予想通りでした。何の落ち度もない普通の良い人っぽい妻を巻き込み傷つけるわけですから、ひとかけらの正義もこの恋にはありません。
ただ吉高さんが可愛らしく柄本佑さんがかっこ良かっただけと私には見えてしまっていたのです。もちろん恋は「正義」があってするものではないから、もどかしく、時には胸を貫くような切なさを生むのですよね。
でもだからどういう感じでその別れが来るのかと思っていたら、乃十阿の父としての気持ちに共鳴する尾高を見て、ケイトは彼から息子を思う気持ちを奪えないと思うのですよね。
いや、思うだろ、そこは。。。。。。って、思いましたけれど。
しかしもっと驚いたのは、普通の良い人っぽかった尾高の妻の闇落ち。
赤ちゃんの置き去りですよ。吃驚するでしょ、これは。
もしもあの時、ケイトと別れなくて、二人でイチャイチャしていて、もう離婚は決まったようなものだから三日ぐらい帰らなくてもイイかってなってたら、赤ちゃんはどうなっていたのかしら。
こっそり妻が、尾高にムカムカしながら様子を見に来ていたのかしら(そんな感じではなかったけれど)
母親が子供の面倒を見るべきだなんてまったく思ってないけれど、どんな時でも親としての責任放棄はダメでしょって思ってしまいました。(まっ、少々気持ちは分からないでもないですが。)
そして未来では、尾高はケイトとも別れて妻も失って、ひとり子育てをしていました。だけど子供と手を繋ぎ歩いて行く尾高は幸せそうでした。ケイトもたったひとりで仕事に生きる女になっていました。だけどイキイキと溌剌としていました。
世の中には五萬といると思うのですが、妻の知る所でないところでかってに疑似恋愛をして勝手に別れて、何事もなかったようにしている人。そしてその罪の重さに耐えきれなくて、時には妻に有った事を告白してしまう人・・・・。
そう言えば、昔の大河ドラマの「功名が辻」で、一豊が「浮気しちゃった。」と告白すると、ブログ記事には「何で言うかなぁ」と告白してしまった事を責める感想が並んだのです。
真実を晒すということは良い事なのか、そうでないこともあるのか、正解は分からない事です。
ただ、確かに世の中には「知らなくていいコト」はあるかもしれませんね。
※ だからと言って、政治家さんたちのあれやこれやだけは、白日の元にさらけ出してやりたいと言う想いが消える事はありません。
「相棒」も最終回。だけどリアルタイムでは見る事が出来ません(ノД`)・゜・。