※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。
※ 真夜中に書いた「懐かしいドラマ「タイムトラベラー」」も読んでね~♪
8月24日の、このブログ内のランク50番目の記事は
「「白虎隊」を見て」 でした。
この記事は、タイトル通り2007年の1月8日に投稿したものです。
この時我が家のルート君は大学進学のための受験生で、やっぱり受験生だった中学三年生の時に行った飯盛山の話で盛り上がりました。
その時我が家の子供たちと大差ない年齢の子供たちで結成され、ほとんど無駄死にであった悲劇の白虎隊に思いを馳せました。
山Pが主役のそのドラマも、なかなか見ごたえのある良いドラマだったと思います。
でも今でも覚えているのは、「立派に死んだ。」と言う言葉。
誰もが立派に死にたいと思っているのです。でもそんな言葉で扇動し多くの人を死に導いた会津の悲劇を感じてしまいました。
もちろん会津の悲劇の本質はそんなところにあるのではありません。あくまでもドラマの印象です。
それは今の世にもある言葉巧みに扇動される恐怖を示唆しているのだと思うのです。
何か大きく物事が動くとき、風になびいてはいけないのです。まずは立ち止まり自分の頭で考えるのです。
私たちは考える事が出来る葦なのですから。
洗脳なんでしょうね。。
戦時下は、それの極地ですね。。
会津の方たちも 新政府の方たちも
両方が正義です。
正義のために生命をかけた
と思い込まないと
そこに 存在できませんものね。。
・・
>会津の方たちも 新政府の方たちも
両方が正義です。
双方とも、自分の義のために闘ったのですよね。
意外かもしれませんが、私は会津派。
だからなのか、その時代のそこに自分がいたらなどと意味もない事を考えてしまったりもするのでしょうか。
やっぱりそこに居たら、「八重の桜」の八重さんのように戦ったり自決の道を選んでしまったりしたのでしょうね。
でもだからこそ、そこから何かを学んでいかなければ、行けないような気もします。