森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

『池袋ウエストゲートパーク』を読みました。

2018-02-16 01:38:08 | ユーモレスクを聴きながら(book)
池袋ウエストゲートパーク (文春文庫)
石田 衣良
文藝春秋


昨年の最後に読み終わった本の感想を簡単に書きたいと思います。

11月15日図書館にて」と言う記事の中で、その時図書館から「本の福袋」なるもののを借りたことを書きました。あまり読書時間を取ることが出来ない生活をしていて、すこぶる遅読。その福袋の中には三冊の本が入っていたのですが、たぶん期間内に読めるのは、そのうちの一冊だと思いました。

上下巻物のようだった「剣豪将軍義輝」は候補から外し、もう一冊の「推理小説」はパラパラと読んでみたら、ドラマの「アンフェア」の原作であることが分かりました。それで私は、なんだか名前だけは知っているような気がする「池袋ウエストゲートパーク」を選んだのでした。

読み終わってから、ドラマの事を調べたのですが、クドカンシナリオの、またキャストが今からの視点で見ればチョーが付くほどのリッチさ(主演長瀬智也・窪塚洋介・山下智久・坂口憲二・佐藤隆太・阿部サダヲ・妻夫木聡・高橋一生など)でファンも多かったと思います。ああ、今からでも見たいです。

でもこれって2000年の作品なんですよね。

強烈な個性を放つクドカンのシナリオ。これを先に見て、その魅力に惹きつけられた人が原作を後から読んでどう思うのだろうかと、そこの所もちょっとだけ興味があるところです。

ただ私はドラマ知らずで、この本で初めてこの物語を知ったのです。

 

結論から言うと凄く好きです!
この物語は推理小説のようであってもそれだけではなく、主人公である誠のほろ苦くもある青春の物語だなと思います。

ある出会いを通して、クラシック音楽に嵌っていく誠、本を読み始める誠、文を書き始める誠。

仲間たちに信頼されている彼でしたが、その魅力は回を重ねていくたびに増していったように思います。

彼は私の中では長瀬君ではないー。

じゃあ誰かと言えば、誰でもない。私の世界の中だけの彼が構築されて行きました。

そしてまた、ちょっと語り口がサリンジャーぽいナと感じました。

その推理小説版。

 

たぶん筆者の脳裏には、この文の背景には誠が聞いているような音楽が奏でられているのかもしれませんが、どちらかと言うとラップのような気がしないでもないのです。

えっ ?

抽象的過ぎて、何を言ってるのか分からない ?

まあね。かもね。そんな感じ。

って、ことで。

面白かったです。これはよほどヒットしたのか、ずっとずっと続編があるんですね。続けてではなくてもボチボチと読んでいけたら楽しいかなと思いました。

お気楽な楽しい青春推理小説なのですが、泣き虫であり、かつ感動をすぐする人なので、ある文章で不覚にも涙がにじみました。

好きだと思っても、それでもメモでも取らないと忘れてしまうかなと思いましたが、反則技で写真を撮ってしまいました。

 

 胸を締め付けるような一瞬の、またはひと時の想い出。それは別に愛の行為だけではなくても、例えば喫茶店で一緒にお茶を飲んだと言う想い出にしても、何か心をえぐるような想いが生じることだってあるじゃないですか。

その時間は繰り返される事のない、その時だけのもの。たとえその後何回も同じようにお茶を飲んだとしても。ふと思い出してはひとりで笑い、または涙ぐむ。時には走り出したいような衝動に駆られて、あてもなく街を彷徨う。

そんな想いに囚われた事ってないですか。

 

さてさて、このワタクシはと言えば・・・・

あああ、青春ってやつは遠い昔かもな。

 

 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あのチョコレートは美味しかったですか ? 2018

2018-02-15 01:39:12 | 梢は歌う(日記)

 今日はバレンタインディだったので、やっぱりチョコレートの想い出を書こうと思います。(書き終わる頃日付が変わってしまうかも)

今日家に来た中学生に、

「買い物に行けなかったから、これでゴメンね。」と言いながらキットカットを二つあげました。少年はそれでも満足。だっておやつですから。私からの愛なんかいらないのですよ。

それを食べながら、彼は言いました。

「僕、分からないんですよね。手作りチョコって何でしょうかね。だってあれは、チョコを溶かしてまた形を変えて、…どちらかと言うと形も悪くして…固め直しただけじゃないですか。なんであれを手作りチョコと言うんでしょうか。」

すこぶる素直で核心を突いた疑問だと感じました。と言うのは、常々、ワタクシも思っている事だったからです。

でもですね、子供に聞かれると答えたくなると言うのがいわゆる職業病というやつでして・・・。

 

「ある意味自己満足であるとも言えるかもね。でもね、その気持ちの中には、お店では売っていない唯一の物をあげたいなと言う心がこもっているかもしれないじゃない。例えばさ、チョコを一口大に丸くしたらその上をおはぎみたいに摺った黒ゴマでかぶせるって言うのはどう?」

「あっ、それ食べてみたいな。」

「じゃあね、桜の塩漬けを中に入れちゃうのは? 甘いけれどしょっぱいの。なんでかなって中を見ると、ピンクの春が隠れているんだよ。」

「それもイイナ。」

本当にそれが美味しいかは分からない事ですが、とりあえず企画の段階では合格点のようです。

「だからね、手作りチョコをあげるって言うのは、『えっ、こんなの作ってくれたんだ。』て思われたいと言う心が込められているのかもね。(だけどほとんどは自己満足だと思う、やっぱし)←心の声」

と言いながら、私はふとある事を思い出し、笑いながら話を続けました。

「だからってね、手作りのチョコを送られても本命と言うわけじゃない場合もあるからご用心だよ。」

 

まだ私と夫が20代だった頃、世の中義理チョコも真っ盛り。バレンタインディに夫が貰って来たチョコを妻が食べるなんかはすこぶる普通の事だったと思います。ところがその中に、手作りのチョコレートケーキなるものがあったのです。

チョコひとつで夫婦の関係がぎくしゃくなんてなるわけがないのです。もしもなるようだったら、原因は別の所にもあるって事ですよ。たとえ義理チョコの中に心が込められた隠れ本命チョコが含まれていようが、知ったこっちゃない事なのです。だけど明らかにと言う場合は、ちょっと私も考えました。

「これって、わざわざ作ったんでしょう。私が食べちゃいけないんじゃないかな。せめてあなただけが食べてあげたら。」と言うと、

「関係ないからさ、食べなよ。逆になんか俺ヤダし。」

「そう。じゃあ。」

パクッ・・・・・・・!!!!

うっ。

ま、まー、まずーい!!!!!

チョコレートケーキをどうやったらこんなにまずく作れるんだろう。

チョコレートを入れたから砂糖を入れていないとか?

味がないんですけれど。

「ねえ、その人さ、みんなにこれを配っちゃったのかな。」

「いや、知らないよ。」

「これって、たぶん、義理チョコならぬ、練習チョコケーキ! 」

 

その方、本命さんには美味しく出来たものをあげる事が出来たのかな・・・・・。

だけど私は、今まで夫がどんなチョコレートを貰って来たのかなんて一個も覚えていないのですが、このチョコレートケーキの事だけは今でも鮮明に覚えているのです。うっかりと本命さんにも同じものをあげてしまっていたとしても、たぶん忘れられないクスリと笑える思い出になったと思います。

粉を計ったり、卵を割ったり、チョコを溶かしたり、そんなことをしながらきっとみんなに渡す時の事を想像しながら楽しく作っていたのだと思います。

「あのチョコレートは美味しかったですか ?」

そうね。もう20代は遠い昔。味の事など忘れてしまったわ。

だからもうこう答えましょう。

とっても美味しかったです、と。

 

 

トップ画像は、今年の私からの究極の本命チョコかまたは最たる義理チョコかの、夫と息子たちへのチョコレート。

 

友チョコなるものを貰いました。

けっこう嬉しいものですね。

 

下の画像は今年の夫の会社関係の義理チョコ。

 

 

これは私が食べる事に既になっています(笑)

ゴディバが「日本人は義理チョコをやめよう」と広告をうって来たでしょう。ゴディバはそれが言えますよね。

だって、義理チョコをゴディバで買う人ってそうそう居ないんじゃないかと思うからです 。

私も「義理チョコ」はどちらかと言うと反対。でもそれはくだらないお返し目当てのチョコ配布に対して、特に思う事なのです。誰なのかしら。最初に倍返しとか言った人って。下品極まりないですよ。

お返しなんか関係なくても、無駄な出費は痛いなと思っている女性にも、気持ちの負担は大きいですよね。

そして単純に経済効果のある楽しいイベントが、徐々に不愉快な部分が生じてしまったと言うのは事実だと思います。

それで夫の前の会社では、義理チョコは禁止になったんです。素晴らしい英断だったなと今でも思っています。

 

会社が変わったので、久しぶりの義理チョコだったのですが、これにお返しはいらないか同レベルのキャンディで良いと思います。

モロゾフは偉いと思ってしまいました。だって300円チョコを売ってたんです。私はここのチョコのファンなのですが、この値段はスーパーのコーナーにもなくて、まさに義理チョコのための企画品だと思います。

安い・美味しいでほんのお気持ちだけと言うのなら、こういうのが良いですよね。

 

実は私、今年はその義理チョコを二つ買いました。

ちょっと「ありがとう」の気持ちを伝えたい人がいたものですから。

買う時にちょっと思いました。こんな風にお世話になった人に、お気持ちだけの「サンクス」程度のお返しが出来るのっていいなって。

そして後から、ちょっと後悔しました。何をかって言うともっとたくさん買って、女性陣にもばらまけば良かったなって。それは来年に向けてのメモって事で。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅梅・白梅&甘酒 《2月の東京散歩その4》

2018-02-12 02:32:31 | お出掛け日記

 梅が咲いたら春なんだって思うのだけれど、今日なんかは夜の冷え込みが酷くて、とても春だなんて思えませんね。

「2月の東京散歩」のラストは「湯島天神」と「神田明神」巡りです。

満開ではありませんでしたが、咲いていました、梅の花。

 

 

 

 

しかし「湯島天神」つまり「湯島天満宮」、「天満宮」と言ったら梅の花になるのは、やはり菅原道真の

「東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」からの由来でしょうか。

ワタクシ前に京都の「天満宮」を訪れた時に、思わず道真が詠んだ歌の梅の木を探してしまいました。そんなものはなかったのですが、日本人は好きじゃないですか。

「道真が詠んだ梅の花はこれです。」的な物語が。

でも考えてみれば、梅の木の寿命はどれくらいなのでしょうか。そんなに古い木を見たことがないかも知れません。

と言うわけで、検索してみたら仙台に樹齢400年強の物があるみたいですが、 梅は古くなると幹が裂け(サバ幹)て地を這うような樹形(臥竜梅)になってしまうらしいです。

有名なもので京都の勧修寺の三代続いた「臥竜の老梅」があって、樹齢がほぼ300年だそうです。

興味のある方は画像など検索してみてくださいね。

だいたい道真さんは(急に親しげ^^)903年に亡くなった方なので、今からおよそ1100年前。1000年梅はないって事で、その頃の梅があ~るわけないじゃない。

因みにそんなことを考えながら見た京都の「北野天満宮」の梅の記事は→図らずもひとり旅その3【北野天満宮の梅と雪】

 

道真公・天満宮の象徴として使われる「梅紋」です。

都会の中の・・・・・。

 

泉教化の「筆塚」。

 

「男坂」と言う階段から、ここを出たのですが、思わず「あれっ、ここって !?」と思ってしまいました。

でも違いました。映画「君の名は。」で有名になった階段は四谷の「須賀神社」なのですって。

確かに階段の手すりは違いますが、ここもなかなか雰囲気を持っていますよね。

 

東京は新しさと古さが混在する街。古さを生かして素敵な空間を作る人たちもいますね。

 そして次の目的地に着きました。とりあえず甘酒です。美味しかったです♪

見辛いと思いますが、座った席の横に壁には、↓ このような新聞の切り抜きがありました。レトロな感じが素敵なお店でした。

 

 

神田明神も都会の真ん中にあるってな感じ。

 

銭形平次になってみたりして楽しい一日でした。

 

ところでこの日のランチは

「旧岩崎邸庭園」ではぜんざいなんかも頂いて、「神田明神」の門前通りでは甘酒を頂いて・・・・

それなのに家族へのお土産として

このようなものまで買ってきたのです。

薄焼きで皮がパリパリのたい焼きでした。

もちろんこの日の最後に言う言葉は

「ダイエットは明日から」

でしたね。

 

2月7日、この日に歩いた歩数は、「11288歩」でした。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去を旅する「旧岩崎邸庭園周辺」《2月の東京散歩その3》

2018-02-11 14:50:39 | お出掛け日記

 (なにげに長いです。コーヒーブレイク時にでもお越しくださいませ。)

 

和館から庭に出るわけですが、今は半分は工事中で工事していない庭も、今の季節はそれ自体にはそんなには見どころと言うものは感じませんでした。ただその一番の良さは、この建物の外観をしみじみと見る事が出来るところにあると思います。

洋館の隣に見えるのは、撞球室(ビリヤード)で洋館同様ジョサイヤ・コンドルの設計です。

 

遠くに見えるビリヤード室のあの椅子、素敵でしょう?

素敵な椅子には座るべし。

ちょっと面白いものを作ってみました。(面白く感じたのは、私だけかもしれませんが。)

元は二枚の写真なので、顔の表情と角度が微妙に違いますけれど、間違い探しのような画像になりました。4か所違います。

 

   

 

 お分かりになりましたか?

と、すぐに答え合わせです。引っ張るほどでもないので(笑)

バッグの位置とセーターの色、スカートの色、そして写した人の影が映っているのの4か所なんです。

この写真、最初に写したものに影が入ってしまったので、続けて撮りなおしてくれたのです。

でもこういう写真って、意外と好きなんですよ。

今回の東京散歩では、お友達と一緒に写したものが一枚もなかったので、この影が映っているのが唯一の二人で映っている写真になったわけです。この場所は凄くまぶしくて一枚は目を瞑っているようにしか見えなくて、もう一枚の影の入っている写真はオカメのような目になってしまいました。だけどなんかそれも好き。いずれにしても小さく載せて、目まではお見せするつもりはないのですが、なんだか顔の表情が、昔の塗り絵みたいだななんて思ったモノですから、ちょっとスカートの裾が乱れて写っていた一枚目を塗ってみたのです。

 

撞球室から見た洋館。

1階の手前に映っている部屋が、内部写真の一枚もないサンルームです。

 

 

そして撞球室です。

「龍馬伝」では香川さんが強烈な個性を放って演じた岩崎弥太郎が敷地を買い、そしてその息子である久弥がこの岩崎邸を建てました。2010年のその「龍馬伝」ではロケ地にもなったそうです。

(どのシーンで使ったのかしら。もう一回見たいです。「龍馬伝」では、香川弥太郎の若い時は、本当にこれでもかって言うくらい汚くて、子孫からクレームが出たとか言ってなかったかしら(笑)でも。「岩崎弥太郎」と聞いただけで、「ああ、はいはい。あの方ね。」と思えるようになった功績は大きいと思います。だけど総集編ではさすがにカットされたけれど、最後に「龍馬伝」のあれやこれやのすべても持って行ってしまったかのような、弥太郎臨終の顔って言うのも忘れられないシーンです。あれこそクレームものですよね^^)

 

ところでこの「旧岩崎邸庭園」に向かう道で、お友達が言いました。彼女は中学生の頃この近所に住んでいて、ここは通学路だったのですって。だけど

「よほど興味がなかったのか、ここの事は全く知らなかった。ただ大きなお屋敷があるなとは思っていたけれどー。」と続けたのです。

興味がなかったから・・・・・

それはないんじゃないかなと、私は不思議に思いました。

可能性としてはよほどのトンチキ・・・おっとと…いやいや、たぶん公開してなかったんじゃないかと思いました。それしかあり得ないんじゃないかな。こんな場所があったら、近くの学校は必ず何かに利用するはずです。社会見学とか歴史の授業にとか・・・。

そしてその謎はすぐに解けました。

旧岩崎邸庭園でお仕事している方に、ここの公開はいつからだったのかと、彼女が聞いたからです。

私は家に帰ってから調べればいいと思っていたのですが、すぐに解決したいと思った彼女の気持ちが分かるような気がしました。

だって、あの時普通に過ごしていた風景にそれは存在していたと言うのに、自分の中にその関わりがないなんて、記憶の中に霧がかかるような感覚が生まれてしまうじゃないですか。

だけどこの旧岩崎邸庭園は2001年(平成13年)からの公開だったのです。

彼女の「大きな屋敷がある。」のみの記憶は正しかったのですね。

 

それで私も思い出したのですが、既にかなり昔になってしまいましたが「旧古河邸」に行った事があって、それで「鎌倉文学館」とかも含めて古い館に興味を持った私は、東京に住む妹やお出掛け好きな知人などに「上野にも大きな洋館があるんだってね。」と聞いたのですが、誰の口からもここの名前が挙がって来なかったのです。既に17年の公開の歴史があっても、その頃には知名度はイマイチだったのだと思います。PC≠おばさんの時代です。

 

彼女の通学路だった坂。

 

 

ああ、歌で知ってる。

と、思われた方も多いのではないでしょうか。

と言うのも、私も思ったからなのですが。

こんな坂でも観光になってしまう東京って凄いです。などと私などはすっかり田舎者の観光客です。でも友達にとっては、懐かしい通学路で、そして昔家のあった場所を教えてくれたのですが、そこはマンションになっていました。

 

同じ風景を見ていても、その心象風景は違います。

だけどその気持ちが分からないと言うわけではありません。

かつて住んでいた所から離れたことのある人は、そしてある程度の年齢を重ねた人は、時には自分の過去へと旅をしたくなるものです。私も実家に帰った時、故郷の道を時々歩いてしみじみとしてる時があるでしょう。

故郷の道を歩く

 

下の画像は総合体育館です。

 

そのはずれには一枚のプレートがあります。(厳密に言えば2枚ですが、そちらの「尋常小学校」のプレートは省略しました。)かつてここにあった学校は、今はそのプレートの中にのみ存在の証明がなされているのです。

 

 

 

かつて通った懐かしい母校は既になく、その姿は新しい建物に代わっていました。

変化変遷の多い東京はそんな街なのだと思いいます。

友達は言いました。

「今日の私の一番の収穫は、この一枚のプレートにまた出会えたことだわ。」と。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旧岩崎邸庭園の和館」《2月の東京散歩その2》

2018-02-10 00:57:49 | お出掛け日記

「旧岩崎邸庭園」に行ってきました。《2月の東京散歩その1》

の続きです。

トップ画像が何かと言えば、それは和館にある喫茶のコーナーなんです。抹茶とかぜんざいなどが頂けます。

私たちはこれを・・・・・

 

そこから見た、外の風景です。

(別にどうってことないか…、おいおい)

 

だけど座った場所からぐるりと見たお部屋内部は・・・・。

 

どこか懐かしいホッとするモノを感じました。

 

こういう洋館、和館続きの建物は、和館の方が居住する場所になっているようです。洋館は確かに来賓を迎えたり泊まっていただいたりイベントなどをする場所、つまり迎賓館的役割があったのでしょう。

この和館は当時のまま残っているわけではないのです。解体され一部が残されているようです。

だけどそれにしたってと、私は不思議に思いました。

色あせて、そしてそのままになっているそれらの襖の不思議さよー。

家紋を意識した欄間以外には、凝った細工のそれもあるわけではないのです。と言う事は、きっと素晴らしいデザインの襖絵が存在していたのではないでしょうか。

これは再現できないからしないのか、不明だから手付かずなのかは分からない事です。

 

洋館からの繋ぎの所にある、和館の玄関。

 

畳の通路。

突き当ったらちょい左へ…で今のところに出るのです。

ずっと畳の廊下です。

そして外に出てから見た日本家屋前の庭。

 

と言うわけで(どういう分けなのだ?)←いつもの一人ボケツッコミ。

 

次回は外観。

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旧岩崎邸庭園」に行ってきました。《2月の東京散歩その1》

2018-02-09 01:54:11 | お出掛け日記

もしも「旧岩崎邸庭園」に行かれるのなら、そしてあなた様がカメラ小僧(元)またはカメラ女子(元)であるならば、絶対に平日に行くべきだと思います。

と言うのも、平日は内部も撮影がOKの可能性が大きいからです。(ちゃんと許可を頂きましたが、この日は空いていたから許可されたのかもしれません。)

もちろん外観は、いつでも大丈夫です。

因みにトップ画像と下のは同じのようですが、ほんのちょっぴり違います。

お友達が

「あの人たちが行ってから撮る。」と言っているのを聞いて、

ああ、私って、それが出来ない人なんだなあと思い、私も待ってもう一枚撮ったのがトップ画像なんです。

でも私、こんな風に人が何気なく紛れているのも面白いなって思ったりもするのですね。(人もニョキニョキってな感じでしょう^^)

 

岩崎邸は本当に贅沢で優雅な空間でした。

ここはジョサイア・コンドルの設計の建物なんです。

コンドル氏、以前にも私のブログに登場しています。「画鬼・暁斎―KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル

これでもかと言うくらい作り込まれていると惚れ惚れとしました。

 

天井は刺繍だそうです。

 

 

 

公開されていない地下室はビデオにて見学することが出来ますよ。

 

 

その反対側から・・・

この後、しつこいくらいの階段の画像・・・(^_^;)

 

この柱に魅せられました。

だけどこの階段、どの角度から見ても美しい。

 

 

光の向こうはサンルーム。

なぜか一枚も写真無し。

居心地が良かったので、ついつい忘れてしまったみたいです。

 

二階はもう壁紙が素晴らしいでのです。

 

ここは靴を脱いで上がるのですが、足の裏側からどんどん冷えてくる感じです。

だから

日の当たるバルコニーが嬉しかったです。

 

次回は和館へ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見えないけれどあるんだよ。

2018-02-05 15:52:51 | 梢は歌う(日記)

「見えないけれど、あるんだよ。」と言う言葉を、私は仕事での子供たちの勉強のお手伝いをする時に時々使います。

「1x(エックス)」の1とか、関係代名詞の「that」とか、その他いっぱい使いどころがあるような気がします。

もちろんその話には、精神論的なものは無しですが。

だけどここからは、ちょっと気持ちの問題だと思います。特に私のようなポジティブ人間にだけ起こり得る、「見えないけれどあるんだよ」的な幸福のお話です。

 

2月1日は私の誕生日でした。

私はだいたい新聞を読むような感覚でツイッターを開きますので、その日の朝も同じような行動をしました。そのツイッターのTLトップだったツイートは、藤原竜也・椎名桔平W主演の舞台「レインマン」告知だったのです。

思わず興奮いたしました。まあこれは分かる方にしか分からない事だと思いますが、私の誕生日の一番初めのニュースがこれですよ。竜也ですよ。「レインマン」ですよ。心の中で「キャー!!」ってなるでしょう、普通。

7月20日から8月4日まで新国立劇場。

夏、楽しみですねえ。

 

そしてこの日はお友達とランチです。私の誕生日は全く関係なしです。途中でその件に触れても「へえ」で終わりです。

お友達は言いました。

「あなたがその歳になるって事は、私たちにガタが来ても仕方がない事よね。」

そう。お友達は5歳上、8歳年上の人たちなので。でもこの人たちとのおしゃべりはとっても楽しいのです♪

そしてそのお友達の一人から、宝塚の「ポーの一族」のチケットをゲットすることが出来たのです。

手に入れられそうとは聞いていたけれど、確実に手元に来るまでは、喜ぶのは止めようと思っていました。

そしてそのチケットが、この1日の日に来たのです。

またも「キャー♪」ってなるでしょう。

行くのは姉妹たちとで、別にこのお友達とご一緒するわけではないのですよ。

 

お食事。(近頃嵌りつつある148Café)

 

 前菜

 

 

メインはシェアしました。お腹もいっぱいです。

 

その後は夕方から夜までお仕事でした。

1時間の休憩時間には読書の時間。

この日のお仕事は順調で、結構うまくいった方だと思いました。

 

そして帰って来てから・・・・

ランチのお店で買っておいたのです。

なんたって誕生日ですからね。ランチにも夕食にもデザート付きです^^;

 

この日は、あさいちで母からの電話。間を空けずに姉妹からのおめでとうのラインが入りました。

うちの家族、夫やルート君は・・・

あんまり~って言う感じなのですが、だからと言って嘆くレベルでもなく・・・・

いや、今年の私のさりげなく出している要望が結構大きいので(今は内緒)、細かい事には触れないのです。普通の言葉があればOKです。

だけど、あんニャロメと、私は離れて暮らすラッタ小僧の事を思っていました。

「何か、私に言う事があるだろう?」と、ラインを送ると

今流行りのこの子の

 「命びろいしたな。ペッ」と言う捨て台詞スタンプでお返事がきました。

まったくもう、素直じゃないラッタさん !

普通のまじめなお母さんだったら「ひどいわ!!」って嘆いちゃうかも。

でも私、普通のまじめなお母さんじゃないものでして、そのスタンプを見ていたら

本当にそうだな~って思いました。

 

それで私も「はーい」と言うお返事のスタンプを送りました。

 

命、落とさず今日まで生きてくることが出来ました。

そして別に世界は私を中心に回っているわけではないけれど、私が思わず「キャー」と思うような事が、ちゃんとその日を選んで起きたのですよ。

きっと見えないけれどあるのです。

確かにある、お蔭様のお蔭って言うものがー。

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それが一番の出来事でした。

2018-02-03 00:39:27 | 梢は歌う(日記)
 
チャレンジ☆へアドネーション。
先日1か月以上、間が空いてしまった小学生低学年の子供たちに会った時、一番先に「あっ、髪を切ったんだ。」と言われて私は嬉しく思いました。髪はかなり長かったので、それをバッサリ......
 

 

上の囲みは昨年の2月2日に投稿した記事です。

2017年は本当にいろいろな事があったけれど、そのいろいろと言うのは、主に遊びほとんど遊びと言う感じで楽しい毎日でした。

一応ほかにも、究極のボランティアだと思われる自治会のお仕事とか、そのほかのボランティアとかもしていたしお仕事も少々はしてはいるのですが、心に強く残るのは「遊んだなあ。」と言う想いです。

その前年の何かと闘い続けた一年とは全く違う毎日が、私はただひたすら嬉しかったのだと思います。

 

それでも私、ある時、近頃一緒に遊んでいただいている星子さんに言ってしまいました。

「2017年で私の中で一番『ヤッタナ!』って思えることは、インドに行った事ではなくて、ヘアドネーションにチャレンジしたことなんだ。」と。

だってあれは、私的にはちょっと長いプロジェクトでしたから。

 

そしてあれは、やっぱり一生に一度のチャレンジだったかもしれません。それでもたとえ自己満足であっても、私の中では小さな誇りです。

ただ昨年の記事にも書きましたが、髪をまだ染める必要のないあなた、何かでケアしなければ髪はパサパサと言う事のないあなたは今のうちに、この心に残るチャレンジをぜひと思います。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒16/第14話「300回スペシャル・後編」

2018-02-02 14:19:00 | ドラマ(相棒)

と言う事は、怪しかった人がそのまま犯人だったと言う、ある意味サスペンスとしては珍しい展開だったかもしれませんね。

常盤は死体発見の時から、なんか変だったじゃないですか。

だけど瀬戸内さんのお世話なんかを甲斐甲斐しくしていたり、好青年にも見えたりもして、なんとなくキャラがつかめませんでした。それこそが彼の怪しさマックスの表れだったのかもしれません。

彼はアサシンだったって事ですよね。

でもその彼は美彌子に一目ぼれしていて、彼女に付きまとっていた坊谷を勝手に始末していたのです。でも仕事以外で人を殺めてしまった彼は、初めて罪の意識に囚われたと言うのでした。

だから自分で埋めておきながら、また自分で発見して掘った…ってもういいや。

ゴメン。

私的にはあまり面白くなかった ・・・・・。

でも全部がつまらなかったと言うわけではないです。骨格の部分のお話がって言う意味で、なんか大きく広げた風呂敷をだいぶ小さく畳んだと言うような感じを受けたのです。

「相棒」の犯人は、いろんな意味で良いよね的法則は、ここでも当てはまっていたと思います。

彼、常盤は犯人だって分かった後は、ずぅううっと変な人でした。それを矢野聖人さんは快演していたと思います。

何人殺したか分からないけれど、立件できるのは坊谷ひとり。極刑にはならないだろうと瀬戸内は言います。出てきたら俺の所に来いなどと彼は言いますが、そこで常盤が涙ぐんだりして良いシーンなんかにならなくて本当に良かったです。それこそ嘘っぽくなるところですよね。あまり反応のないような顔をする常盤。瀬戸内はちゃんとこのモンスターと、その時には向き合って行こうと思っていたと思うのですが、彼が瀬戸内が生きているうちに出てくるような、そんな刑量ではいけないと思いますよ。

ひとりだろうが二人だろうが殺人じゃないかって思うからです。

ところでこの矢野聖人と言う方ですが、なんか知っているような人だなあ、いや、知らないなあとか思っていたら、なんと2010年の「身毒丸」オーデショングランプリの人だったのですね。昨年は主演映画も撮っていたとか。

 

話しを「相棒」に戻して、今回の見せ場は青木君のお遊びメッセージ・…じゃなくて、いや、そこも面白かったですよね。あのメッセージを聞いた場所って、「パレスホテル」かなあって思って、最後の撮影協力の所をちゃんと見ようと思ったのだけれど、見逃してしまいました。録画組の方で分かる方がいらしたら教えて頂きたいな。

そうそう、本当の見せ場の所ですが、美彌子(仲間さん)がヤロポロクが暗殺されたことを知って、ひとり誰もいない部屋でむせび泣くシーンは、凄く良かったです。ジーンとしました。その後、目などが全く赤くなっていなかったのは、本当は不自然だなあと感じたのですが、そのぐらいは許してあげましょう←(偉そうに)

ヤロポロクの話はあまり好きではないと言っていた私ですが、それでもこんな終わり方かって勿体なく思ったのでした。日本に居たのなら、ひとり陰から美彌子の大ピンチを助けるとかいうエピソードも一回ぐらいあっても良かったのにとか思ってしまったものですから。

あっ、そうだ。

この常盤はスパイだったヤロポロクにも、かなりやり手だったはずの坊谷にも勝ってしまう男なのですから、この先脱獄とかもあり得ますよね。そして脱獄した先で崖から落ちて記憶喪失になり、そして・・・・(って、遊ぶんじゃない)

あっ、記憶喪失と言えば、この「相棒」が始まるぎりぎりまで、記憶喪失の人の捜索のテレビを見ていたのだけれど、あの記憶喪失と言っていた外人さん(限りなく怪しくなって来た)と17年間軟禁状態だった青年はどうなったのかしら。その後の話とかないのかしら。

 

「あっ」って、言いながら、話が止めどもなく続いて行きそうなのでもう止めるところですが、やっぱり最後は雛子ですよね。

出家した事は世間的には、あまり評判もよろしくなくて、でも雛子は大胆に微笑んで言います。

「悪名は無名に勝る。」

 

片山雛子はさりげなく「相棒」順レギュラーに返り咲きますかね。むしろウエルカムなのですが。

 

あっ、…だからやめなさいって。もう最後だって言ったんだし。

ああ、そうだけれどね、でもどうしても言いたいから言わせて。

「花の里」の幸子さんの「お買い物に行ってきます。」のシーンは良かったですね。本当に気配りが出来てホッとできる場所なのが伝わってきました。(って、それだけ)

 

※ だからね「あっ」と言って話を追加して行かないで、あらかじめまとめておきなさいよって思ったけれど、あの行方不明の人の捜索番組に情報提供で電話をくれたおじさまと比較したらですね、まあ、いいかってものですよ。あの時さ、あの外人さんはドキドキ、私たちは相当「ちょっと話をまとめてくれないかね」って思っちゃった・…ってこっそり呟いてます。で、あの後の後日談はないのか、この番組は?

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆既月食の夜。

2018-02-01 02:17:39 | 梢は歌う(日記)

トップ画像はツイッター、様から頂きました。

(転載のお許しが出ていたので。)

昨晩の皆既月食は、本当に綺麗でしたね。

そして欠けて行くところから地球の影に入り、その色を変えていくところ、そして下の方から白く光り元に戻っていく様も、まさに天体ショーだったと思います。

 

楽しい夜でしたね。

 

因みに私のスマホカメラでは

 

 

カメラ機能で今のスマホを選んだのだけれど、月を撮るときは(後、曇の日ね。)限界を感じます。

でもなんかやり方があるんじゃないかと思っているのだけれど、今は他に優先する事があって、勉強できないなあ。

妹が、見れば見るほど大豆みたいだとラインで言っていました。

それでワタクシ、思わず思ってしまいました。

ああ、節分が近いなって。

また節目の時が来たなって。

  

※         ※        ※

 

そして日付が変わって、また私は一つ歳を取りました。

だけどね、もう歳を取ることなんか別に何にも嬉しくもないけれど(あっ、いや、けっこう嬉しい)、悲しくもないですよ。

どーんと来いってな感じです。(何がどーんと来いなのかは不明だけれど^^;)

と言うのも、私、この前ふと思ったのですが、中身は本当に変わってないなって。もちろん肉体ばかりは老いていき、その肉体の中に脳と言う部分もあるから、そこはね、はっきり言って悲しいですよ、その老いが。

でもね、中身、つまり精神的なものは昔のままのような気がするのです。

皆さんもそうなんじゃないですか。

試しに明日の朝、目が覚めてパチリと目を開けた時に、自分がどのくらいの年齢の人に感じるか意識してみて。

決しておばさん、またはお婆さんではないと思いますよ。

私なんかはね、30代ぐらいに感じますよ。ときどき20代にも。(うっそーって思いました?図々しいとか? (笑))別の言い方をすると、「幼稚」とも言えるのかもしれませんね。

ただね、その幼稚な魂を入れている器がね・・・・。

アッチが痛いな、こっちも痛いなになって来つつあるのは事実。そこは騙したりメンテナンスしたりで、少しでも長く持たせるようにしなくてはだめですね。

そして更に大事な事は、如何に魂を若く保つかと言うことなんじゃないかしら。

その秘訣は、やはり己の感性を磨く事だと思います。磨かぬ感性は死んでいくばかり。

一番恐ろしい事だと思います。

 

ああ、昨夜の月は綺麗だったなあ。

ちょっとその感性を磨けた夜と言えたかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする