森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

麒麟がくる 第二十三回「義輝、夏の終わりに」

2020-09-14 12:20:43 | ドラマ (大河)

美しかったですね。

向井理の義輝もですが、サブタイトルも。

そして演出も。

 

真夜中だったかそれとも明け方近くだったのか、彼が部屋の外に違和感を感じて「誰かある。」と声をかけても誰も駆けつけず、声が聞こえぬのかとまた部屋を出て「誰かある」と呼んでも、館はシーンとしていて誰も駆けつけず、義輝は霧の庭に佇み、ひとり一つの季節が終わってしまった事を思い知らされるのでした。

 

後に信長の所から(松永経由で)帰って来た光秀に、京の寂しさを語ります。もちろん京が寂しいのではなく、今の義輝の現状が寂しいのです。

そしてあれは本当だなと、古今和歌集にある歌に想った事を語りました。さりげなく教養の豊かさが滲み出る上手いシナリオですね。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」

 

「目にはさやかに見えねども・・・」

なんだか胸が痛いです。

ただ自分なりの想いを抱いて生きて来ただけなのに、知らず知らずのうちに自分の夏は終わっていて、或る日突然に秋が来ていたことに驚くー。

思わず自分の何かと重ねて、その歌が聞こえてきた方もいらしたのではないでしょうか。(あっ、私か !?)

ここにこの歌を持ってくると言うのは、ライター様の腕の見せ所ですよね。

ただ向井さんがそう思ったかは別で、意外とサラリと語り語尾もよく聞き取れなかった・・・・・って何気に文…もん…

いや、何でもない。(うるさいねっ、私。)

だけど

「欲を言えばだな !

遅すぎた !」

と、光秀が自分に短くても良く仕えてくれたと労をねぎらった後に、少し声を荒げて言ったシーンも良かったですね。

 

本当にこの10年、光秀は何をしていたのだろうかと、再び私は思ってしまいました。

 

特に信長の所に行って、猿が、いや木下藤吉郎が着々と彼の物語を紡いでいたのかと言うシーンでは強くそれを感じました。

 

そして、信長たちが義輝の要請をスルーしたのは、戦で忙しいからばかりではなく、暗殺されるだろうと言う噂があったからなのだと思いました。「義」ばかりでは、その動向を決められぬのは乱世の習いですね。

その噂に憤慨する気持ちを持って松永を訪れた光秀でしたが、彼は価値の話をし、義輝の将軍としての価値はないような事を言うじゃないですか。あんな風に語られると、彼が力なく無能な人のように聞こえてしまうのですが、あの価値と言うのは、自分たちにとっての都合の良い価値に過ぎないのですよね。

義輝は無能なのではなく、傀儡の将軍になるまいと踏ん張っただけです。それが三好や松永には価値のない人になってしまうー。松永の話に、光秀が納得できるものでもなく、そこに呼ばれたのが細川藤孝でした。

その藤孝を、幽霊を見るような顔で見る光秀。

あの忠義の塊のような藤孝でさえも「次の将軍を守らなければ・・・」などと言うのでした。

 

そんな松永経由で義輝の元から帰って来た光秀の心はクタクタだったと思います。

帰って来た家の戸口に立てば、母が孫をあやす歌が聞こえ、娘と母は何やら可愛らしく話している。その他の人々も生活のための何かを働いているー。

ああ、いいなぁと光秀はホッとしたことでしょう。

 

家に帰る前に朝倉の所に寄って来た光秀だったわけですが、約束通り朝倉は留守宅を金子を届けたりして守ってくれていました。

既に一晩経ったので(経っていなくても)、記憶喪失で正しいセリフは語る事が出来ませんが、他国を見ずに自分の大切なものを守って欲をかかずに質素に生きていく事は大切な事なのだと、朝倉は光秀に語り、光秀もその通りかもしれないとふと思ったと熙子に告げるのでした。

食えない朝倉・・・・・。

でも何か不思議な魅力を滲ませているなと、私も思ってしまうのでした。

だけどこの乱世。

その後の未来を思うと、そんな事を言っていた朝倉だって・・・・(/_;)

 

光秀に熙子は語ります。こうしている間にも、人が戦で死んでいる・・・・と。

 

自分の生活、自分の生活の範疇での出来ること、そして遠い所にいる他者。

駒と覚慶との会話にもそれを考えさせるものもあり、何気に深い回だったように思います。

いろいろと考えさせられました。

 

※ 今日は朝からずっとエアコンを切っています。

だけど蒸し暑いです !

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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やっと元気が出てきました。

2020-09-13 02:50:58 | 梢は歌う(日記)

「季節の変わり目に心が弱って、9月病か?」なーんて事を言っていましたが、それとはまた違う理由がある事で、昨日は落ち込んでいました。

コロナの陽性の方が仕事に縁するところで出て直接にはまったく関係がなかったものの、とばっちりでまたも私は半分以上の仕事減となってしまい、ほとんど失業状態です。

昨日の土曜日は今年度初めてになってしまった学校でのお仕事が復活しました。月に一回ないしは二回の有償ボランティアのお仕事です。その時間に感じたのは、「やっぱりお仕事、好きだな~。」と言うことだったのです。そう感じて一生懸命に働いたその時間は楽しくて、私は幸せでした。

しかし午後から、今ではメインになってしまったバイト先のお仕事減の件が明らかになると、なんだか私はシオシオトした気持ちになってしまったのでした。出来上がっている生活が崩れると言うのも嫌な事ですが、減収と言う事も結構痛く感じます。

午前中の仕事の疲れや配管掃除のための片づけなどの疲れもあって、午後からは事あるごとに横になっていました。

私が時々、子供たちに言う事ですが

「心が疲れた時にはとりあえず寝るのです。なぜなら心ってどこにありますか?

胸ではないよね。そうね。脳がいろいろ感じるのよね。と言う事は心も身の中にあるものだから、寝る事によって、その疲れは軽減するのよ。」

これって、ごく当たり前の事を言っているのだと思いますし、人には言うのに自分ではなかなか実行しない事でもあると思うのです。

でも昨日は実践いたしました。

いっぺんにはたくさん眠る事は出来ない私ですが、本当にクタクタと横になりうとうとと寝ていました。

そしてこんな真夜中に元気になった私がいるのです。

 

どうせ老後はこんな生活です。

これ、前にも「シミュレーション !?」と言う記事の中で触れていたように思います。

お金はないけれど時間がある生活。

楽しみたいなと思います!!

 

ついでながら9月11日の写真日記を少々・・・。

銀行引き落としが出来なかったカードの支払いは、無事カード会社のATMから入金しました。便利になったなと思いました。「昔は」と話し出すと、また膨らんでしまうので、ここはミッション終了と言う事で、その日はマックで一人ランチをしました。

私、最近、こういうのが好きなんです。あまり食べる機会もないから、ちょっと嬉しいかも。

ここに来る前に公園に立ち寄ったのですが、あんなに人がいつも居たのに、今はひっそりとしていました。自粛生活も終わってと言うのもあるけれど、今は暑いですからね~。

でもなにげに写した風景に入り込んだ木は、少し色を変えていました。

 

彼岸花は、まだこんなものでした。

 この場所は、いつも群生するのに、茎さえ見つからなかったので、今年はどうなのかしらと思いました。

そこから遠くに見えた百日紅。

 また別の場所の・・

公園の画像は、ひとつ前の記事にも載せました。

ATMのあるモールで、夕飯の食材調達と、百均に行きそこに山積みにされていた、「スーパーの手提げ袋」と言うのを買いました。ホームセンターでは品薄だと聞いたばかりだったので、買う事にしたのですが、このお話は別にしたいと思います。

自転車の後ろのカゴがいっぱいになるほど荷物が増えたと言うのに、帰りには館内点検のために長く休館になっていた県立の施設がいつの間にかオープンしていて、どうしても気になってしまったので、荷物を持って中には行ってみたら、絵画グループの絵画展が行われていて、しっかりと見てきました。

お気に入りのレストランが撤退していて、休憩所になっていたので、壁にかかっていた複製画を友にして休憩をしてから帰りました。

 

そう言えば !!

本当に久しぶりに千葉大の農学部のお店に寄ってみたのです。冬瓜とか自家製のジャムとかお花とか、魅力的なものがたくさん売っていました。(じゃがいもとお花をゲット。それでカゴ一杯の荷物になってしまったのでした。)

だけどそこのお店は1時開店で、今は梨だとかシャインマスカットだとかで、開店前から人が並びあっという間に売れ切れてしまうそうです。面白そうなので、また行ってみようと思います。

 

 

 

 

コメント (3)
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9月11日、金曜日。

2020-09-11 23:31:47 | 梢は歌う(日記)
 
9月11日、水曜日。

 9月11日、火曜日。 9月11日、月曜日。 9月11日、日曜日。 9月11日、金曜日。 9月11日、木曜日。最近、自分の中の老いと向き合わなければならないこともあ......
 

 

上の囲みは昨年の9月11日に投稿したもので、2014年からのツリーになっています。

2001年に起きた、あのアメリカ同時テロから早くも19年が経ってしまったなんて、なんだかその速さについていけないような気がします。

なんだか思い出すと、まるで昨日の出来事のような気もするのです。

思わず小さな悲鳴をあげてソファから立ち上がってしまったその時に、二人の子供たちがリビングに自分の部屋から飛び出してきました。オンラインゲームのチャットで、

「お前ら、ゲームなんか遣ってる場合じゃない。テレビを見ろ !」と流れて来たのです。

 

私は目の前に映し出された光景に、

「これは映画じゃない。これは現実なんだ。」と、自分に言い聞かせていました。見た事もない恐怖に、脳がリアルの出来事だと認識してくれなかったのです。

 

そんな恐怖を感じたと言うのに、数年たつと心の中で風化しつつある自分に気が付き、それも恐ろしい事だなと感じました。

今の戦争は、例えば町ひとつを焼き尽くさなくても存在するのだと感じませんでしたか。それを私たちはリアルにテレビと言う箱の前に座って見る事が出来てしまったのです。その後起きた報復により、また新たな命が失われて行ったことは意識の中に存在しているのでしょうか。

こんな記事がありました。→「同時多発テロから19年…アメリカの「対テロ戦争」で少なくとも3700万人が難民に」

 

自分の中で風化させないために、私は今日はあの日の事を思い出す日にしているのです。

 

私たちが闘わなければならないものは、未知のウイルスだったりもするのですから、人間どおしで殺し合っている場合なんかじゃないですよ、まったくね。

 

平和でありさえすれば、雲を見て緑を見て、それだけで幸せな気持ちになる事が出来るのですよね。

今日の私のように。

 

日本庭園に蓮の花が一輪。

なーんだぁ。

こんな近くに居たんだね、蓮の花も。

 


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いろいろとミッションをこなす

2020-09-11 09:23:55 | 梢は歌う(日記)
 
ブログ生活4999日。
さりげなくキリ番目指して数を数えだしたら、何を書いて良いのか分からなくなってしまいました。とりあえずブログ内整理をしようと思ったものの、し終わるとは思えないので、それはまたゆっ......
 

上の囲みは昨年の9月10日に投稿したものです。

主に9月9日の日の出来事やその周辺の日々の生活などの事が書いてあって、毎日は同じことの繰り返しであってしかも一年単位でも、だいたいは同じ事を繰り返しているのだと分かったりして、やはり日記と言うものは、さりげなく面白いものですね。

そのような繰り返しの中で、蓄積されて行くもので自分と言うが成り立っているのだと思います。

上の記事の中に、継続についての自分の想いが書いてあって、自分の事に私は励まされます。

>『>『継続は力だぞ。』

想いが強くて、思わず「ぞ」を付けてしまったその言葉。

それはブログに対して出てきた言葉だったのかもしれません。

そして

>『続けて行く事にはきっと何か意味が生まれ、きっと何か自分の力になっているんだ。』

 

なので今日も、9月10日の日の日記。

昨日の朝、1日のやることを頭の中で組み立てていました。

「えーと。

チケット発券と(国立西洋美術館の)、借金返済と・・・・」

借金返済 !?

これ、1年に一回の2匹分のペット保険引き落としをすっかり忘れてしまっていて、残高がほんのちょっと足りなくて引き落としが出来なかったのです。悔しい事にその引き落とし日に、それを知らずに銀行に行って通帳記帳していたのに気が付かなかったのでした。それはメールチェックなどを怠っていたからなんですね。

払うべきものを払っていないと、なんだか借金って感じがして落ち着きませんよね。

 

タイトルの「ミッション」と言っても、主婦のそれなんで、まあ大したことはありません。

それでもアアしてコウしてと悩みます。

発券のコンビニとカードのATMがある所があっちとこっち・・・・。

じゃあ自転車で行こうかな。

じゃあ、公園にも寄って曼珠沙華(彼岸花)の咲き具合を見て来ようかな。

と、そこに雨雲アラートが「雨降るかもよ。」と告げて、借金返済は明日にしようと言う事になりました。

 

その他のミッション。

・溜めてしまったマスクを洗うー。

もうマスクを買う事に困らないと思うのですが、一度洗って使う事を覚えたら、やっぱり洗いますよね。

不織布マスクの方が洗っても、布マスクよりも性能がイイとなればむやみに使い捨てることは出来ません。

そう言えば、私、これ買いました !!

 

ピアノの先生のブログを読んでいたら、紹介してくださっていたので早速数時間後に買いました(笑)

マスクをしっぱなしで2時間ぐらい話していると、プハァと言う呼吸困難な状態になったりするので、こういうのが欲しかったのです。

 

・プチトマトを干す

でも、これ、たった今、昨日干したのは失敗だったことが分かりました。ゴーヤが上手くいったので、ちょっと勘違いしてしまいました。二日ほど干せばいいのかと思ったら、六日ぐらいかかる場合もあるそうですね。明日は終日雨みたいで気温も下がるそうなのです。

本当に私ってばっか~~~ !!! ←今始まった事ではない・・・(^_^;)

8月のあの猛暑の日々に、なぜやらなかったのか悔やまれます。

今回のラストはオーブンに頼るかな。

何でも1回目はあまり上手くいかない事が多い人なので、そこは気にしないんだ、私。口笛~♪

 

・ゴーヤの佃煮を作る。

ひとつ前の記事(重陽の節句の日には・・・。)で、ゴーヤがドアノブに挟んであったと書きましたが、その白ゴーヤで作ってみました。これ、美味しかったです。ゴーヤのメニューが一つ増えました♡

なつとなかよし2020《今年のゴーヤとオクラ》」の記事のコメントでヒントを頂いたのです。(blue-moment-rainbow様、ありがとう~♪)

 

・塩豚を作る。

豚バラ肉の塊に塩を振って1,2日寝かせるだけ。これを薄くスライスして焼いたり、スープを作ったりなど美味しいのですよね。

 

何とはなしに主婦っぽい事をあれやこれやとやっていたわけですが、チケットの発券には歩いて行きました。

 

今の季節は、ピンクや白や、この公園の赤や色とりどりの百日紅がまだ咲いていますね。この花は長く咲いてくれて、それを嬉しく思います。

 

 

あれやこれやをやっているみたいですが、今の私は何をやっていても、やっぱり心の内側は不満足と言う何かを抱えています。

自分のブログが役に立つと言うのはまさにここだと思ったのですが、過去記事を読むと、私はどうも季節の変わり目は心が弱るみたいなんですね。5月病ならぬ9月病なのかも知れません。

 

散歩道の、何気ない花に癒されます。

下の花は、

 友達が地域の「災害用井戸」の所が味気ないと、善意で作っているプランタの花壇です。この花を見ると、花の可愛らしさばかりではなく、人の心の美しさも見えるようで、清々しい気分になれるのです。

 

夜のバイトの帰り、放置され草ボーボーになった道路の傍らの空き地から、澄んだ虫の音が聞こえてきます。しかも世界を包み込むような大合唱です。私の中では9月はまだ夏なのですが、やはり既にこの押し寄せる次の季節の圧には負けてしまいそうです。

ライトもないので、その空き地は真っ暗ですが、シルエットでここかなと勘で写真を撮ってみました。

 コスモスに

 オオマツヨイグサ

 

バイトの往復も歩いたので、なんと昨日は8800歩も歩いていました。

 

あっ、そう言えば、花の水やり当番だったので、時間通りに花壇に行きました。

花に水をあげながら、私はなんだか幸せな気持ちになっていました。

 

さて、今日を動き出さなくちゃ。

今日のミッション・・・・

「借金返済と排水管掃除のための掃除・・・だな。」

と言うわけで、今日は二回投稿の予定です。

また夜にお会いしましょう。

 

今日も一日健やかで、ひとつでも心を満たすようなものに出会えますように♡

 

 

 

 

 

 

 


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重陽の節句の日には・・・。

2020-09-10 00:15:32 | 梢は歌う(日記)

9月9日の日記。

夕方、夫殿が帰って来た時に私は言いました。

「今日は9日だけど、これと言って何もないよ~。」

すると夫殿が言いました。

「9日だからって、何もないだろ、普通。」

 

いや、それは違います。

だって今日、9月9日は重陽の節句なんですよ。

だけどもしそれを意識しても、いったい何をすれば良かったのかしら。ススキにお団子 ?

いや、それは来月の十五夜よね。あっ、そうか、菊か・・・。

菊・・・・・!?

もう少し季節が進めば、この辺の畑はやたら野菊だらけになるってものだけれど、今は目につくところにはなかったな。

 

それともう少し季節が進むと、やたら気になってくるのが曼珠沙華の花じゃないかしら。

今日、朝一番に友人からメールがありました。

「マンションの曼珠沙華が咲いたよ。」と言うもの。

そう言われて、いそいそと花壇に行ってみたら・・・・・

 なんか寂しい咲き具合。それに最初は何か理解不能な咲き方だなと思いました。じっと見ていて、徐々に分かってきました。私は今まで曼珠沙華の花をちゃんと見たことが無かったのだなと。

あの冠みたいな花の形は、この小さな花の集合体。この一輪は先走って咲いてしまったのですね。

マンションの花壇の曼珠沙華は、ずっと植わったままの球根から咲いたもので、あまり期待は出来そうもないのですが、それこそ「小さい秋見つけた」みたいな感じだったと思います。

 

重陽の節句について検索したら、こんな所を見つけました。

「9月9日は「重陽の節句」
大人の女性のための雛祭り 
←リンクしています。

この記事の「大人の女性のための・・」の所だけ、私は頂こうとちゃっかし思いました。

なぜなら今日はお友達とランチに行きました。

行った事のないお店で、頂いたものは皆美味しくて、雰囲気も素敵。

「大人の女性のための節句」に相応しいお店だったからです。

 

前菜とか

デザートとか

女性には大事なポイントだと思いませんか。

もちろんメインのピザもパスタも写真は撮りましたが、画像的には普通なので、この記事には要らないかな~。

 

今日は、このランチに行くためと言うのもあるけれど、ダスキンが午前中に来ると言うので、けっこう頑張って午前中の時間一杯お掃除に勤しみました。

区切りとかご褒美とか、メリハリがある方がテキパキと出来るってものですよね。

 

今日は友人から曼珠沙華以外のメールが来たり、お友達と電話したりと、それなりに賑やかな一日だったと言えるかもしれません。

だけど、なーんか心の奥底に不満足な自分が居たりするのです。

さりげなく自分で言った言葉の中に、それのアンサーがあったかも知れません。

「今がどんなに楽しくても、次の楽しい計画を語り合ったり約束みたいなものが欲しい。」

それに応えてお友達が言いました。

「本当よね。こんな時代だから。」

 

それは時代のせいだからなのか。

『青春時代は迷う事ばかり~』なんて歌があったけれど、白秋の入口に立つ私は、何に迷っているのかさっぱり分からない・・・。

 

とりあえずと言うわけではないけれど、やっぱり私は「国立西洋美術館」には行く事にしました。今の時代にあった暮らし方を模索しながら、自分の生活を取り戻していく事も大事な事に思われたからです。

この日記の中で一番言いたかったのは、この部分だと思います。

 

だけど夕方「ゴーヤ、玄関のノブに置いてきました。」とメールが入っていました。袋に入ってぶら下がっているのかとドアを開けたら、1本そのままドアノブに挟まっていました。

なんかゴーカイだなぁ・・・。

でもそれを見ていたら、私、いろいろな人に感謝したいような気持ちになってきました。

 

9月9日の日記を読むと、メールがたくさん来たり、お友達と電話したり、ランチに行っておしゃべりをしたり、なんか賑やかな毎日を送っている人みたいに思う事でしょう。

本当の事を言うと、こんな事は稀です。

いつもの私は姉の蝶子さんと定期便みたいに電話でおしゃべりをして、後は夕方のバイトまで猫を相手に話しているようなもので、その猫さえも昼間はグーグーと夢の中なので、日中は誰とも口を利かない日もあるくらいなのですから。

そんな、世界の片隅でそっと生きている私を、今日思い出してくれてありがとう、そんな気持ちにもなるってものでしょう。

 

 

 

 


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なつとなかよし2020《今年のゴーヤとオクラ》

2020-09-08 01:25:48 | success summer

ここ数年は、私にとってはゴーヤは夏の風物詩のような趣があります。友人から頂いたりもしましたが、市が緑のカーテンの推進計画として種やら苗やら配布して下さるので、それを栽培してくださった方から時々頂く事も多くなりました。

あくまでも『頂く』と言うのが大事なポイントです(^_^;)

と言うのも、我が家でゴーヤを食べるのは私だけなんです。昔は、ちょっと苦手な食材でした。それと言うのも新婚旅行で行った沖縄でゴーヤがどんなものかも知らないで、二人分もゴーヤチャンプルーを頼んで、二人揃って撃沈したと言う、それこそ苦い思い出があったからなんです。

ゴーヤが好きな人は、あの苦味が好きなのではないかと思うのですが、私はやっぱりちょっと苦手です。

そして類は類を呼ぶのか、生活圏での知人の中に、「好き」と言う人はあまりいません。

だけど基本、私は好き嫌いがあまりない人で、苦手だなと思うものもいつの間にか好きになっていたりすることが多いのです。

今年のゴーヤは、最初に1本貰ってそれからまたトップ画像の2本とで3本頂きました。最初の1本は、頂いてすぐに調理したので写真を撮り忘れてしまいました。だけど頂いた記念にと切った後の塩もみする前に撮りました。天婦羅にしたのですが、シャキッとした歯ごたえで美味しかったです。新鮮だったということも、美味しく感じた大事な要素だったかもしれません。

夫殿も息子君も食べていましたが、結局、私がほとんど食べたようなものです。

 

 

それでも、夏になるとゴーヤが気になるのは、花も可愛らしいけれど、実の形状や触った時の触感が好きだからだと思います。

 

そして二回目に貰った2本で干しゴーヤを作ってみました。

干してしまうとこんな感じです。

まだ使っていないので、これに対しての感想はないのですが、だいぶ苦手な苦味は取れるそうですね。

ちょっと楽しみです。

因みに昨年のゴーヤの画像です。↓

やっぱり写真を撮りたくなる対象ですよね^^

 

 

それから、ヘッポコガーデナーである私が、毎年ベランダに招き入れてしまうのがオクラなんです。

オクラも大好きですが、花がやっぱり可愛らしいのですね。

 

なかなか花も咲かなかったのですが、やっと咲いたかと思ったら、実の方もあっという間に大きくなってしまいました。

最初の収穫の物は、切った時からゴリゴリと固く、思わずみじん切りにして味噌汁に入れました。(^_^;)

まあ、最初にヘッポコと白状していますから、そんなものだと思ってください。

だけど2回目の収穫の物は、柔らかくて美味しかったのですよ。

今のところ8本ぐらいの収穫だったかしら。

まだ買った方が早いじゃんと言うレベルですが、ベランダで育てると言うのは、また別の楽しみがありますよね。

 

あと、紫蘇も育てていて、こちらもいろいろ役に立っています♪

 

 

コメント (2)
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ゴッホの「ひまわり」で、今の気持ちを考えた。

2020-09-07 11:22:52 | 梢は歌う(日記)

先日星子さんとランチした時に、向日葵の記事(なつとなかよし2020《向日葵は元気色》)をこのブログに書いた時に、頂いた切り抜きがさっそく役に立ったことを伝えました。すると、彼女はさらに新情報をくれたのです。

それが、今なら、ゴッホのひまわりを2点同時に見る事が出来ると言うもの。

「2点同時」と言われると、凄く素敵で特別な物に感じませんか。

美術館をはしごしてそれらを見るー。

面白いなぁと思いました。

だけど星子さんが言いました。

「でも今は、日付限定もしくはさらに時間指定のチケットを買わなくちゃいけないわけで、それを考えると考えただけで萎える。」

私も

「ねっー !」と相槌をうって終わりです。

家に帰ったら、その事を忘れてしまったのです。いつもならすぐに検索を入れる所なのに・・・・。

だけど翌日、ちょっと用があって、バイトの帰りに星子さんの家に寄りました。その時にも、この話が出ました。

「どうする?」と言うような打合せのような話ではありません。

 

ずっと普通にやっていた事を、今年はまったくやらなくなっています。そうすると、それを再びやろうとすると、なんとなくハードルが高くなってしまっていることに気が付いたと言う話です。

東京と言う場所は、多くの人が通勤しまた暮らしている土地なので、「東京」が怖いと言うのはまったく失礼な話だと思います。ただ、別に不急の者がそこに行って何か行動を起こしているのは、どうなのかみたいな気持ちになってしまうのは5月6月以降からの、心の習慣だと思います。またgo  to キャンペーンの時も来るな、行くなだったと思うので、単に臆病風に吹かれているわけではないのですよね。

ひとつ前のお芝居情報の記事でも、理由は日程だったり姉妹への想いだったりなのですが、その気持ちの中に、やはり「既に高くなってしまったハードル」と言うものが、やはり存在しているのだと私は感じてはいるのです。

 

またそんな迷いのような気持ちがあるのに、そこまで絵画が見たいのかと私は思いました。

はっきり言って、心の中の私は布団の上でゴロゴロしながら

「もうそんなもん、どうでもどーでも良いから。」とか言っているような気さえしたのです。

死ぬまでにどれだけの本物を見る事が出来るかは、私の私に課した挑戦でもあったわけですが、気持ちの中で「本当は絵なんか見ることなんか好きじゃないんじゃない ?」などと、呟いている自分がいる始末。

迷走するってこういう事なんですね。

私はいったい何がしたくて、どこに向かっているのだろう・・・・・・となってしまっている自分がいるのです。

何が好きで、何をして生きて生きたいのか、ちょっと考える時期が来ているのかもしれません。

 

と、ここでこの記事を止めても良いのですが、上記のように考えていたら、頭の中が整理できて来たのか、ムクムクと好奇心が沸き起こってきました。確か2点のゴッホって、こことここだなと検索してみました。

ひとつは「国立西洋美術館」で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」。会期変更があって10月18日まで開催されています。

もう一つは「SOMPO美術館」。この美術館がコレクションとしてゴッホの「ひまわり」を所蔵しているのでしょ。ところが、HPを開いたら・・・・

《SOMPO美術館は、2020年10月6日から12月27日まで開催を予定しておりました「ゴッホと静物画―伝統から革新へ」につきまして、開幕を目指し調整を続けておりましたが、国内外の新型コロナウイルスの影響のため、一部作品の輸送の目途が立たないことから、本年の開催は困難と判断し、展覧会の中止を決定いたしました。》と言うお知らせが載っていたのです。

この美術館は常設展が無いので、2点のゴッホをはしごしてみると言う私たちの企画(最初から企画倒れになっていましたが)は終了してしまいました。

ああ。早く普通の生活が来ないかな~ ・・・・・。

 

と、ここで、今度は「西洋美術館」のHPの片隅にこんな言葉が載っているのが目に付きました。

 

《< 休館日 >
毎週月曜日および年末年始(12月28日-翌年1月1日)
全館休館:
2020年10月19日(月)~2022年 春(予定)

ええええ~!!!!

いや、知っていた方は別にここまで驚かないと思うのですが、ぼんやりと生きている私はたった今知ったものですから、ちょっと驚きも大きいです。過去にも修復工事のために2年間クローズしていた時期もあるわけですから、今回もそう言った理由なのかと思います。

だけどちょっとだけ、気持ちがザワザワしますね^^


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「てにあまる」「ポーの一族」「誰かが、見ている」

2020-09-06 14:32:44 | 観劇・コンサート日記

〈画像は記事の内容には関係のない散歩道のオシロイバナです。〉

4日の日に流れたお芝居の情報です。なのでファンの方々に、これと言って目新しい情報を提供できると言うものでもないのですが、私的にはやはり書き残しておきたい内容なのです。

演劇の世界が動き出したなと感じられるのは嬉しい限りです。

コロナの収束はまだですが、この時代に知恵を絞ってその対策をしながら、新しいスタイルを模索していく事はとっても大切な事だと思います。

 

今年はこんな時代だからやらないのかなと思っていた、藤原竜也さんの舞台情報・・・・ !

「てにあまる」

詳しい情報は→ここからどうぞ。☚リンクしてます。

私が、もし行くとしたら東京芸術劇場プレイハウスで、12月19日~1月9日までの日程の中で選ぶわけですが、いつもこの時期の公演は日程的に悩むところです。それになんだか急に決まったような感じがして(定かではありません。)チケットの一般発売日が10月24日。今のところの情報はそれだけなんですね。

 

東京はようやく7月に実家に行けて、それで通過は出来たけれど、最後に行ったのはいつだったかと言うくらい、遠い場所になってしまっています。

広い劇場が選ばれたのは、やはりコロナ対策を意識しているのかなと思われるので、東京復活はそこからにしても良いような気がしました。ただやっぱり日程がね。それにチケット、買えるかな~ってのがあるし。

しかしタイトルが平仮名だけって言うのも、何か意味があるのなと、そこも気になるますねぇ。

ライブビューイングで是非やって貰いたいなぁって、今はちょっと思っています。

 

もう一つ同じように、それでやって貰いたいのが、「ポーの一族」なんです。

《 昨年11月に宝塚歌劇団を卒業した元花組男役トップスターで女優の明日海りお(35)が、ミュージカル「ポーの一族」(来年1月=大阪・梅田芸術劇場、2月=東京国際フォーラム)に主演することが3日、分かった。退団後、初の舞台出演。トップスター時代の18年に演じた傑作で再出発を飾る。》https://hochi.news/articles/20200904-OHT1T50009.html

私は季節労働者のようなものですから、確かに2月もちょっと厳しいけれど、今はバイトがメインなので、こちらは行こうと思えば行けると思うのです。

最初、この情報が竜也さんの情報よりも先にツイッターで知った時には、ちょっとテンションが上がりました。

もう宝塚の公演じゃないのですよ。と言う事は、アランは誰が ?  メリーベルは誰が ? そしてこの物語のヒロインの立ち位置であるシーラは誰がやるのだろうかと、キャスティングが凄く気になるじゃないですか。

でも、じっとその記事を読んでいたら、まったく違う理由で胸がいっぱいになってしまったのです。

もしこの情報を妹たちに話したとするでしょう。

「今度宝塚じゃない所で『ポーの一族』をやるのよ。」と私が言っても反応は薄いと思うのですが、もしも反応が濃くても、現実には今は病気のスノウさんと一緒には行けないのですよね。

ああ、あの時、姉妹三人で宝塚の「ポーの一族」を見る事が出来て、本当に良かったなと心からそう思ったのでした。

そう思うと、ひとりでもフラフラとそれを見に行くなんて事は、心苦しいような気になってしまったのでした。でも私は望都様を愛しているので、ライブビューイングなら、映画館なので黙ってそっと行きます。・・・・・心の中で迷走している・・・・・かも。

 

と、私のように胸のうちがごちゃごちゃしていない方は、是非、動き出した舞台を楽しまれてくださいねぇ~。

でもそんな事を言っている私が、それらの舞台が近づいて来た時に、迷ってどういう行動に出るかは、今の段階ではわからない事です(笑)

 

そして同じ日に、こちらは舞台ではありませんが、三谷幸喜×香取慎吾の「誰かが、見ている」情報が流れてきました。

《脚本/演出・三谷幸喜、主演・香取慎吾、Amazon Prime Videoにてプライム会員向けに独占配信されるAmazon Original ドラマシリーズ『誰かが、見ている』(全8話一挙配信)が、9月18日より世界240以上の国と地域で同時配信される。ユーモアと笑いにあふれた最新の予告映像とメインビジュアルも解禁に。世界配信を記念して今月12日に“世界同時”YouTube LIVE 試写会も開催される。  》https://www.oricon.co.jp/news/2171126/full/?utm_source=Twitter&utm_medium=social&ref_cd=tw

三谷氏、こんな時代に果敢に挑戦しているなって感じがしますね。

楽しみです。

 

 

 


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ビッグ~愛は奇跡<ミラクル>~

2020-09-05 00:11:39 | 海外ドラマ

※ 今日あたりは、ドラマのお話か舞台のお話などを書いた方がタイムリーなのだと思いますが、先にこの記事を書き終えていたので、こちらを先にアップしたいと思います。

 

またも、コン・ユの作品で何かないかなと探して「ビッグ~愛は奇跡<ミラクル>~」を見ました。

「コーヒープリンス1号店」から5年後の2012年の作品です。

キル・ダランと医師のユンジュは結婚を約束した恋人同士。だけど家具などを見に行く約束もドタキャンして、何やらユンジュには他に心を締めていることがある模様。そこにアメリカからの転校生キョンジュンがやって来る。

18歳のキョンジュンと30歳のユンジュは事故に巻き込まれ・・・・・・。

そう言うジャンルがあるとしたら、これは所謂、魂入れ替わりもののラブコメディ。

だけどキョンジュンはユンジュが探していた青年であったりと、少しずつ解けていく謎部分も興味深かったです。

 

コン・ユが凄いなと思ったのは、18歳の高校生になってしまった時、彼が全くカッコいいコン・ユに見えなかったところです。

本当に小生意気な高校生に見えました。

それが徐々にキル・ダランと心を通わせるようになってくると、しっかりと素敵に見えてくるから不思議ですね。

 

この話、謎の部分が分かってくると、けっこうその謎の部分は重いものでした。

ちょっと最終回前の数話は、泣けました。

だけどアマゾンの皆さんのレビューにもある通り、最終回が突っ走り過ぎていたように感じました。

ツッコミどころが山のように有りました。

でも最後には、私は言うのです。

「まっ、良いか。ドラマなんだし。」と。

画像の下にネタバレ感想を書きました。

 

あっ、その前に、このドラマのヒロイン、イ・ミンジョンはイ・ビョンホンの奥さんなんですね。韓流ドラマの視聴者の新人の私でも、イ・ビョンホンぐらいは知っているのです^^

ネタバレ感想ですが、どちらかと言うと突っ込みたかった所ばかりを書いています。このドラマが大好きで何も問題はなかったと言う方には不愉快かも知れませんのでご注意下さい。

だけど私も大好きでしたよ~♪

 

さて謎解きは面白かったと言っても、最初の数話のユンジュの浮気疑惑のエピソードは、私的には退屈。もう少しライバル女性に魅力があったらなと思ってしまいました。

彼女を見直すようなエピソードが、これと言ってないのですよね。だから最後にキョンジュンが彼女に、もう一度ユンジュに迫れば良いような事を言うけれど、頂けなかったですね。

元に戻ったキョンジュンの姿を最後にはちゃんと写さなかったのは、コン・ユの姿で愛を育んだのに、いきなり若いキョンジュンになってしまっての絡みでは、逆に違和感が出てしまうからだと思いました。

キョンジュンとユンジュは双子なんだから、一年後と言わず、数年後にしたら良かったのにと思ってしまいました。

ユンジュはユンジュでダランを愛していたと思うのです。目覚めた彼に、その心変わりを丁寧に謝るシーンもなかったのが気になってしまいました。また元に戻った二人に記憶がないのは分かりますが、傍から見ればユンジュはずっとダランと普通に生活していたわけですから、いろいろな所で混乱が生じたはず。マリの手紙一通ではなんとなく燃焼不足になってしまいました。

しかしキョンジュンと出会う前、ダランはユンジュとの結婚に舞い上がっていましたが、舞い上がっていたのは彼女だけ。ユンジュの中にもダランへの愛はあったように思うのですが、この先もお行儀のよいカップルを続けていたら、どのみち二人はクタクタに疲れてしまったか、またはダランはいつも寂しい想いをするようになってしまったかも知れませんね。

 

私が、これは大丈夫なのかと一番思ってしまったのは、ダランがkkjを愛してしまったからユンジュと別れると言い、ユンジュの家族に大ひんしゅくをかってしまったと言うのに、また後に今度はキョンジュンが結婚すると言って連れてきた人がダランだったら、そりゃみんな賛成してくれないんじゃなのかしらってところです。

 

それにキョンジュンが生まれた時に、背負っていたものはあまりにも大きかったですね。

キョンジュンが怒りまくるのは無理のない事だと思いました。

 

同じ事を自分に当てはめて考えてみたら、私には抜け出せないような暗闇に落ちてしまう内容だったと思います。

二つの受精卵の一つは、普通に誕生して両親に愛されて育ち、もう一つの受精卵は冷凍保存され、そしてもうひとりの病気を治すために、代理母から生まれてくるんですよ。その代理母は父親が愛していた人だったので、本当の母親は、その子が兄を助けると言う使命を果たすと、自分の息子だと認めずに会う事も拒むのです。

救いだったのは、キョンジュンの代理母は才ある人で、ひとりで財を成し、そしてキョンジュンを心から愛して育てた事だと思いました。

だけどその母が望んだ奇跡とは、自分が居なくなった後、家族が彼を愛して受け入れることだったのかも知れません。昏睡で目覚めなかったのは、それに必要な時間だったのでしょう。ドラマ内でこのように語っていたのに、曖昧な書き方をしてしまうのは、何か微妙に納得が出来ないような気持ちが残ったからだと思います。

かつてはこうだったと言う真実には蓋がなされるようで、そしてそのために二人で紡いだ時間の記憶が消えてしまうなんて・・・・。

 

だけどユンジュが病気にならなければ、キョンジュンは生まれてくることはなかったのです。あの絵のように二人は命を助け合うと言うところは素敵に感じました。

すべては運命・・・・。良い人生を生きれば勝ちって事で良いのではないかと思えたドラマでした。

まあ、ラブコメディなので、難しい事は考えずにフフフと見たら良いのですよね。

 

イ・ミンジョンは可愛らしく、そしてコン・ユも可愛らしかった、そんなドラマでしたね。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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「ポーの一族」秘密の花園 Vol.4

2020-09-04 00:18:23 | 漫画・マンガ・まんが

「ポーの一族」秘密の花園 Vol.3の続きです。

今年の夏、私の脳はかなり劣化したものと思われます。何をいきなり、こんな事を言うかと言うと、8月の最後の日、カレンダーをじっと見ていて、「もう8月も終わりだな。」としみじみとしていたら、ある事をすっかり忘れていた事を思い出したのです。

つまりそれは、「月刊フラワーズ」の10月号を買う事をです。

まあ、こんな程度と言われれば、「平和なやっちゃ」「大したことないさ」と言うところなのかも知れませんが、毎月楽しみにしていることを忘れてしまうと言うのも、なんざましょってなもんじゃないですか。

あー、やだやだ。

歳は取りたくはないものですよね。

だからと言って、永遠の命をあげると言われても、彼らのそれなりの苦労を思うと、やはりそれはどうかなと考えてしまう所ではないでしょうか。(誰も「あげる」とは言ってはくれませんが。)

 

 

そして、感想です。

新キャラ登場。

陽気なブラザー・ガブリエル。

そうとう怪しい。

グロリア夫人がフィレンツェ旅行から帰って来た時に、ブラザーとは永遠の別れをしてきた。立派なお葬式だったと言っていたわけで、たぶんそれは本当の事だと思うのです。

エドガーを最初に見た時に、ブラザーはギクッと驚くのです。彼は何を感じて驚いたと言うのでしょうか。

そして前回では、相当ヒステリックな感じにも感じたメリッサ夫人だったのに、ブラザーの口から彼女を語られると、本当に素晴らしいだけの人のように感じてしまいますね。

そしてまたアーサーの父の事も語られました。

思わずエドガーが「冷たいな。アーサーが可哀想だ。」と言ってしまうような仕打ちでしたね。

 

「切り裂きジャック」は、この後本当に絡んでくるのでしょうか。パトリシアの夫疑惑は、思い過ごしで単なる浮気とか・・・・・。

そして、エドガーにとってカウスリップのワインは毒薬。

和名は欄外に書いてありましたね。キバナクリンザクラ。

 (https://www.flower-db.com/ja/flower:599)

『〔利用〕
根と根茎を薬用とします。
花をサラダや砂糖漬けにするほか、ワインなどの風味づけに利用されます。
葉をサラダやハーブティーにします。』(https://love-evergreen.com/zukan/plant/16683)

半日蔭でも栽培できるみたいですし、ちょっとイイ感じな花ですね。

だけど、エドガーにとってはね(^_^;)

これはもしかしたら望都先生が、これのワインで酷い目に遭った経験があったとか ?

思わずそんな邪推をしてしまいました。

今回のエドガーは必要に迫られて果敢に狩りをしますね。

 

後ひとつ分かった事は、エドガーにとっては「羊はまずい」らしい・・・!

 

だけど私、ここで「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」でブラピが鼠ばかり食べていた事を思い出してしまいました。(^_^;)

2時間震える足で歩いても、エドガーは理性とプライドは捨てない美しきバンパネラなのですね。

 


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