美しかったですね。
向井理の義輝もですが、サブタイトルも。
そして演出も。
真夜中だったかそれとも明け方近くだったのか、彼が部屋の外に違和感を感じて「誰かある。」と声をかけても誰も駆けつけず、声が聞こえぬのかとまた部屋を出て「誰かある」と呼んでも、館はシーンとしていて誰も駆けつけず、義輝は霧の庭に佇み、ひとり一つの季節が終わってしまった事を思い知らされるのでした。
後に信長の所から(松永経由で)帰って来た光秀に、京の寂しさを語ります。もちろん京が寂しいのではなく、今の義輝の現状が寂しいのです。
そしてあれは本当だなと、古今和歌集にある歌に想った事を語りました。さりげなく教養の豊かさが滲み出る上手いシナリオですね。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」
「目にはさやかに見えねども・・・」
なんだか胸が痛いです。
ただ自分なりの想いを抱いて生きて来ただけなのに、知らず知らずのうちに自分の夏は終わっていて、或る日突然に秋が来ていたことに驚くー。
思わず自分の何かと重ねて、その歌が聞こえてきた方もいらしたのではないでしょうか。(あっ、私か !?)
ここにこの歌を持ってくると言うのは、ライター様の腕の見せ所ですよね。
ただ向井さんがそう思ったかは別で、意外とサラリと語り語尾もよく聞き取れなかった・・・・・って何気に文…もん…
いや、何でもない。(うるさいねっ、私。)
だけど
「欲を言えばだな !
遅すぎた !」
と、光秀が自分に短くても良く仕えてくれたと労をねぎらった後に、少し声を荒げて言ったシーンも良かったですね。
本当にこの10年、光秀は何をしていたのだろうかと、再び私は思ってしまいました。
特に信長の所に行って、猿が、いや木下藤吉郎が着々と彼の物語を紡いでいたのかと言うシーンでは強くそれを感じました。
そして、信長たちが義輝の要請をスルーしたのは、戦で忙しいからばかりではなく、暗殺されるだろうと言う噂があったからなのだと思いました。「義」ばかりでは、その動向を決められぬのは乱世の習いですね。
その噂に憤慨する気持ちを持って松永を訪れた光秀でしたが、彼は価値の話をし、義輝の将軍としての価値はないような事を言うじゃないですか。あんな風に語られると、彼が力なく無能な人のように聞こえてしまうのですが、あの価値と言うのは、自分たちにとっての都合の良い価値に過ぎないのですよね。
義輝は無能なのではなく、傀儡の将軍になるまいと踏ん張っただけです。それが三好や松永には価値のない人になってしまうー。松永の話に、光秀が納得できるものでもなく、そこに呼ばれたのが細川藤孝でした。
その藤孝を、幽霊を見るような顔で見る光秀。
あの忠義の塊のような藤孝でさえも「次の将軍を守らなければ・・・」などと言うのでした。
そんな松永経由で義輝の元から帰って来た光秀の心はクタクタだったと思います。
帰って来た家の戸口に立てば、母が孫をあやす歌が聞こえ、娘と母は何やら可愛らしく話している。その他の人々も生活のための何かを働いているー。
ああ、いいなぁと光秀はホッとしたことでしょう。
家に帰る前に朝倉の所に寄って来た光秀だったわけですが、約束通り朝倉は留守宅を金子を届けたりして守ってくれていました。
既に一晩経ったので(経っていなくても)、記憶喪失で正しいセリフは語る事が出来ませんが、他国を見ずに自分の大切なものを守って欲をかかずに質素に生きていく事は大切な事なのだと、朝倉は光秀に語り、光秀もその通りかもしれないとふと思ったと熙子に告げるのでした。
食えない朝倉・・・・・。
でも何か不思議な魅力を滲ませているなと、私も思ってしまうのでした。
だけどこの乱世。
その後の未来を思うと、そんな事を言っていた朝倉だって・・・・(/_;)
光秀に熙子は語ります。こうしている間にも、人が戦で死んでいる・・・・と。
自分の生活、自分の生活の範疇での出来ること、そして遠い所にいる他者。
駒と覚慶との会話にもそれを考えさせるものもあり、何気に深い回だったように思います。
いろいろと考えさせられました。
※ 今日は朝からずっとエアコンを切っています。
だけど蒸し暑いです !