森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

重陽の節句の日には・・・。

2020-09-10 00:15:32 | 梢は歌う(日記)

9月9日の日記。

夕方、夫殿が帰って来た時に私は言いました。

「今日は9日だけど、これと言って何もないよ~。」

すると夫殿が言いました。

「9日だからって、何もないだろ、普通。」

 

いや、それは違います。

だって今日、9月9日は重陽の節句なんですよ。

だけどもしそれを意識しても、いったい何をすれば良かったのかしら。ススキにお団子 ?

いや、それは来月の十五夜よね。あっ、そうか、菊か・・・。

菊・・・・・!?

もう少し季節が進めば、この辺の畑はやたら野菊だらけになるってものだけれど、今は目につくところにはなかったな。

 

それともう少し季節が進むと、やたら気になってくるのが曼珠沙華の花じゃないかしら。

今日、朝一番に友人からメールがありました。

「マンションの曼珠沙華が咲いたよ。」と言うもの。

そう言われて、いそいそと花壇に行ってみたら・・・・・

 なんか寂しい咲き具合。それに最初は何か理解不能な咲き方だなと思いました。じっと見ていて、徐々に分かってきました。私は今まで曼珠沙華の花をちゃんと見たことが無かったのだなと。

あの冠みたいな花の形は、この小さな花の集合体。この一輪は先走って咲いてしまったのですね。

マンションの花壇の曼珠沙華は、ずっと植わったままの球根から咲いたもので、あまり期待は出来そうもないのですが、それこそ「小さい秋見つけた」みたいな感じだったと思います。

 

重陽の節句について検索したら、こんな所を見つけました。

「9月9日は「重陽の節句」
大人の女性のための雛祭り 
←リンクしています。

この記事の「大人の女性のための・・」の所だけ、私は頂こうとちゃっかし思いました。

なぜなら今日はお友達とランチに行きました。

行った事のないお店で、頂いたものは皆美味しくて、雰囲気も素敵。

「大人の女性のための節句」に相応しいお店だったからです。

 

前菜とか

デザートとか

女性には大事なポイントだと思いませんか。

もちろんメインのピザもパスタも写真は撮りましたが、画像的には普通なので、この記事には要らないかな~。

 

今日は、このランチに行くためと言うのもあるけれど、ダスキンが午前中に来ると言うので、けっこう頑張って午前中の時間一杯お掃除に勤しみました。

区切りとかご褒美とか、メリハリがある方がテキパキと出来るってものですよね。

 

今日は友人から曼珠沙華以外のメールが来たり、お友達と電話したりと、それなりに賑やかな一日だったと言えるかもしれません。

だけど、なーんか心の奥底に不満足な自分が居たりするのです。

さりげなく自分で言った言葉の中に、それのアンサーがあったかも知れません。

「今がどんなに楽しくても、次の楽しい計画を語り合ったり約束みたいなものが欲しい。」

それに応えてお友達が言いました。

「本当よね。こんな時代だから。」

 

それは時代のせいだからなのか。

『青春時代は迷う事ばかり~』なんて歌があったけれど、白秋の入口に立つ私は、何に迷っているのかさっぱり分からない・・・。

 

とりあえずと言うわけではないけれど、やっぱり私は「国立西洋美術館」には行く事にしました。今の時代にあった暮らし方を模索しながら、自分の生活を取り戻していく事も大事な事に思われたからです。

この日記の中で一番言いたかったのは、この部分だと思います。

 

だけど夕方「ゴーヤ、玄関のノブに置いてきました。」とメールが入っていました。袋に入ってぶら下がっているのかとドアを開けたら、1本そのままドアノブに挟まっていました。

なんかゴーカイだなぁ・・・。

でもそれを見ていたら、私、いろいろな人に感謝したいような気持ちになってきました。

 

9月9日の日記を読むと、メールがたくさん来たり、お友達と電話したり、ランチに行っておしゃべりをしたり、なんか賑やかな毎日を送っている人みたいに思う事でしょう。

本当の事を言うと、こんな事は稀です。

いつもの私は姉の蝶子さんと定期便みたいに電話でおしゃべりをして、後は夕方のバイトまで猫を相手に話しているようなもので、その猫さえも昼間はグーグーと夢の中なので、日中は誰とも口を利かない日もあるくらいなのですから。

そんな、世界の片隅でそっと生きている私を、今日思い出してくれてありがとう、そんな気持ちにもなるってものでしょう。

 

 

 

 


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