(愛知県宝飯郡小坂井町平井字坂田後 2001年4月22日)
浄土宗坂田山東林寺の近くの果樹園の中に、金時塚と呼ばれる小さな堂宇がある。その中には「坂田金時」の文字が彫られた石塔があり、明治維新まで存在した東林寺の寺子屋の生徒によって建立されたものという。平安時代、源頼光の東国征伐に従った坂田金時は、この東林寺に参籠し、出発の際に自身の念持仏である一寸八分(5.5cm)の薬師如来が大盤石の如く重くなったため、東林寺に置いていった。そして、帰路に再び立ち寄って薬師如来を覆う鞘仏をつくり、堂宇を建立した。京に帰りこのことを朱雀天皇に報告すると、天皇は坂田山東林寺の寺号を下したという。その後、寺の前を馬に乗ったまま通ると落馬したり、天秤棒を担いで前を通ると棒が折れたりすることがあったため、像を後ろ向きに安置するようになったという。
浄土宗坂田山東林寺の近くの果樹園の中に、金時塚と呼ばれる小さな堂宇がある。その中には「坂田金時」の文字が彫られた石塔があり、明治維新まで存在した東林寺の寺子屋の生徒によって建立されたものという。平安時代、源頼光の東国征伐に従った坂田金時は、この東林寺に参籠し、出発の際に自身の念持仏である一寸八分(5.5cm)の薬師如来が大盤石の如く重くなったため、東林寺に置いていった。そして、帰路に再び立ち寄って薬師如来を覆う鞘仏をつくり、堂宇を建立した。京に帰りこのことを朱雀天皇に報告すると、天皇は坂田山東林寺の寺号を下したという。その後、寺の前を馬に乗ったまま通ると落馬したり、天秤棒を担いで前を通ると棒が折れたりすることがあったため、像を後ろ向きに安置するようになったという。