(愛知県知立市西町神田 2005年8月28日)
明治18年(1885)西三河を潤す明治用水の管理が愛知県から土功会に移管され、その際に碧海郡役所に隣接して同会事務所として築造された木造2階の建物である。明治23年(1890)陸軍大演習が行われた際には、明治天皇の休憩所として使用された。明治41年(1908)明治用水水利組合となり、大正3年(1914)安城町(1952-安城市)に移転、代わって愛知工芸学校として利用され、大正13年(1924)岡崎工業高校として移転、知立縫製女学校となったが、昭和6年(1931)廃校となった。昭和9年(1934)知立神社境内に移築され、以降は養生館として利用されている。
明治18年(1885)西三河を潤す明治用水の管理が愛知県から土功会に移管され、その際に碧海郡役所に隣接して同会事務所として築造された木造2階の建物である。明治23年(1890)陸軍大演習が行われた際には、明治天皇の休憩所として使用された。明治41年(1908)明治用水水利組合となり、大正3年(1914)安城町(1952-安城市)に移転、代わって愛知工芸学校として利用され、大正13年(1924)岡崎工業高校として移転、知立縫製女学校となったが、昭和6年(1931)廃校となった。昭和9年(1934)知立神社境内に移築され、以降は養生館として利用されている。