(静岡県島田市大井町 2008年3月10日)
島田代官長谷川藤兵衛と駿河記編集者桑原黙斎を顕彰する碑である。地元の郷士長谷川藤兵衛長盛と長親、長勝、長春、勝峰の五代の島田代官は、大井川修堤、堀抜水門、問屋川・中満川・宮川の治水等私財を投じて尽力した。桑原黙斎は、明和三年から天保三年にかけて駿河七郡と七百十八村十二駅三域の地誌を編集した「駿河記」と、「大井川河原紀行分」を著した。この先賢碑は、大正13年(1924)島田町長置塩藤四郎が建立したものである。
島田代官長谷川藤兵衛と駿河記編集者桑原黙斎を顕彰する碑である。地元の郷士長谷川藤兵衛長盛と長親、長勝、長春、勝峰の五代の島田代官は、大井川修堤、堀抜水門、問屋川・中満川・宮川の治水等私財を投じて尽力した。桑原黙斎は、明和三年から天保三年にかけて駿河七郡と七百十八村十二駅三域の地誌を編集した「駿河記」と、「大井川河原紀行分」を著した。この先賢碑は、大正13年(1924)島田町長置塩藤四郎が建立したものである。