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(末盛城 名古屋市千種区城山町)
旧愛知郡東山丘陵の端に築かれたこの城は、周囲に二重の堀を廻らしている。訪れたこのときは、城跡に建つ城山八幡宮への初詣客で賑わっていた。天文十七年(1548)古渡城(名古屋市中区橘)の織田信秀が築き、この城に移った。信秀は間もなく病死し、子信勝(信行)が入ったが、信勝は兄信長に対向し、弘治二年(1556)「稲生の戦い」(名古屋市西区)で戦ったが敗北した。そして翌年再び謀反を企て、その情報を柴田勝家が知り、信長に知らせた。信勝は清洲城で殺され、末森城は廃城となった。その後城跡は、信勝が創建した白山社を由来とする城山八幡宮となった。
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(千種区記事:覚王山日泰寺 星が丘 城山八幡宮 星が丘令和六年)
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