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私がこの地名を知ったのは、1982年頃。太郎丸古墳が存在することを知ったときである。それから20年以上の年月が流れ、ようやく訪れることができた。
岐北のこの地域は山県市や関市にほど近く、早くから住宅団地として開かれたようである。
点在する民家、地区を見守る鎮守、年季を感じるあらゆるもの…昭和時代そのものの面持ちがある。先に行われた万博時代頃の構築物が今となっては時の流れのメモリとして感じられた。
太郎丸から山県岩という所へ抜ける「峠」には小丘上に太郎丸古墳がある。円墳であるが埴輪を有し、地域有力者の墓であったであろうと想像する。今は雑木に埋もれ、静かに眠っている。この辺りの時代の速度に伴うが如く…。
関係あるんですかね。
稲沢にも次郎丸というところがあるようですねぇ