賤機山西麓にあり、永禄三年(1560)に創建した寺院である。境内には徳川家康継室、旭姫(駿河御前)の墓碑があり、元静岡市内安東、長安寺(廃寺)にあった、時雨塚(元禄七年建立)がある。
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(龍鼻砦 静岡市葵区大岩町)
標高171mの「しずはたやま」山上に南北朝時代、今川氏が築いた城である。馬の背状の尾根には、随所に堀切が設けられ、幅の狭い郭が三つ存在する。
永禄十一年(1568)武田氏の駿河侵攻によって、今川氏から武田氏配下の城となった。そして、天正十年(1582)徳川家康が駿府入りをすると廃城になった。
(真言律宗勝宝山西大寺 奈良市西大寺芝町 国指定史跡)
天平神護元年(765)僧常騰により創建された、真言律宗の総本山である。創建当時は薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東塔、西塔を配した伽藍を持っていたが、平安時代になると衰退し、興福寺傘下となっていった。
(四王堂 延宝二年再建)
(東塔跡)
(重文 本堂 文化五年再建)
(愛染堂 旧近衛政所御殿)
鎌倉時代になると、僧叡尊によって再興がなされた。現存する本尊釈迦如来像や愛染明王像(各重文)は、この頃のものである。然し、文亀二年(1502)の火災で多くの伽藍を失った。
(塔跡と本堂)
(まりこおおだたら 静岡市駿河区丸子字大鈩)
丸子城のあった三角山の西麓にある集落である。この地は往古、鍛治職が盛んであり、製鉄の蹈鞴(たたら:ふいごで風を送り地鉄の温度を高める設備)の蹈鞴=鑪=鈩(タタラ)を地名にあてたとされる。丸子城で使用する武器も、この地で造られたという。然し、丸子城の戦いの際に兵火を受けたが、武田氏の統治になると静けさを取り戻した。
(曹洞宗大鑪山誓願寺)
(丸子城)