flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

加納八幡神社の楠

2011-12-16 00:00:51 | ふるさとの木々

(岐阜市加納八幡町)
 慶長六年(1601)加納城築城の際に、中山道沿いの現在地に遷座した神社である。境内には岐阜市の保存樹となっている楠がある。
 

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大垣城 東門前

2011-12-15 00:00:49 | 城郭・城下町

(岐阜県大垣市郭町 1982年5月26日)
 大垣城内を散策した後は、藩主戸田家別邸旧柳口門を移築した東門前で一休みをした。

(関連記事:赤坂宿 美濃国分寺跡

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比叡山東塔

2011-12-14 00:00:54 | ほとけのいおり

(天台宗比叡山延暦寺 滋賀県大津市坂本本町 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財)
 雲の中の比叡山に辿り着く。時折雷鳴のする広い境内を歩いていると、大粒の雨そして晴れ間と、変わりやすい山の天気が繰り返されていた。
    
 振り返れば、善光寺、高野山熊野四天王寺、厳島神社、太宰府を訪れ、ようやく比叡にも参詣ができた。
(国宝 根本中堂 寛永十九年)     (文殊楼の文殊菩薩)     
(重文 大講堂 旧山麓讃仏堂 寛永十一年)

(重文 戒壇院 延宝六年)    (法華総持院東塔)(法華総持院阿弥陀堂)   
 東塔に位置する根本中堂は、延暦寺の総本堂となっていて、薬師如来が安直されている。 延暦寺は延暦七年(788)最澄が創建した一乗止観院)が始まりである。平安時代から鎌倉時代にかけて、後に新仏教を起こす僧たちを輩出した。然し、比叡山の僧たちは次第に武装化し、時の権力者らと対立して幾度となく焼き討ちに遭っている。
 (閼伽水(あかすい)「弁慶水」)  
(比叡九院の一つ、山王院)

 この後は西塔に向かった。

(関連記事:日吉東照宮 走井堂 日吉大社

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阿蘇五岳北斜面

2011-12-13 00:00:50 | 漂い紀行

(熊本県阿蘇市 阿蘇くじゅう国立公園)
 カルデラ内である、阿蘇のまちから阿蘇五岳の斜面を上がっていく。
阿蘇五岳は高岳(1592m)を最高峰に、中岳(1506m)、根子岳(1433m)、烏帽子岳(1337m)、杵島岳(1326m)から成るが、その他、楢尾岳(1331m)、往生岳(1238m)等がある。
 
(杵島岳)(往生岳)       (杵島岳 南西から)  (米塚 標高954m)
 阿蘇の神、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が収穫した米を積み上げたものが山になったという神話がある米塚。山頂の凹みは貧しい人に対し、神が米を掬った跡という。

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一部投稿休止

2011-12-12 03:00:57 | kourei-ki-日記-
2005年8月(前身のHPは1998年12月)から続けている、漂い紀行のブログ投稿記事は、私のライフワークともなっていて、毎日更新をモットーとし、ストックも約3年分ほどある。

現在、このブログを介さない日記を他のSNS系で投稿しているが、諸問題が発生しているため連絡事項的投稿またはメッセージを除き、当面休止することにした。
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自由が丘

2011-12-12 00:00:38 | 漂い紀行

(東京都目黒区自由が丘)
 新宿から渋谷を経て、自由が丘に差し掛かる。世田谷区に接するこの辺りは、地名の由来ともなる自由ヶ丘学園ができて以降、商業地及び住宅地として発展した。
 

(地域関連記事:目黒 自由が丘平成二十七年 林試の森 西五反田 祐天寺駅界隈 明顕山祐天寺 中目黒 目黒大橋

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安土城

2011-12-11 00:00:12 | 城郭・城下町

(滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 国指定特別史跡 琵琶湖国立公園)
 かつては琵琶湖に接していた安土山に、天正四年(1576)織田信長によって築かれた山城である。天守は六階望楼付とされるものであったが、天正十年(1582)本能寺の変後に本丸及び天守を焼失している。その後、織田信秀が二の丸に居城するが、天正十三年(1585)に廃城となっている。
    
 現在は石垣や石段等を残すのみであるが、当時実際に城を目にしているとされる宣教師ルイス・フロイスの記録によって、当時の様子を今に伝えている。城域の西側に建つ総見寺の境内に仁王門と三重塔があるが、在城当時からのものとされる。平成元年から滋賀県は安土城の発掘調査を行っており、南山麓から本丸へ続く大手道、通路に沿って築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる本丸御殿等の遺構が検出され、併せて石段・石垣が修復工事が施されている。また、石材には石仏、墓標等も含まれている。
(伝前田利家邸跡) (伝羽柴秀吉邸跡)
(伝徳川家康邸跡)
                  (天守台)          (本丸)
     

 この後は、織田家墓所総見寺側、そして安土街道に向かった。

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国木田独歩旧宅

2011-12-10 00:00:15 | 木のたてもの

(山口県柳井市姫田)
 明治4年(1871)千葉銚子で生まれた小説家の国木田は、20歳からの二年間この地で過ごした。柳井の町が望める場所でもある。北側の黄檗宗光台寺には、独歩曽遊地の碑が建てられている。

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加納宿 平成二十三年

2011-12-09 00:00:53 | 街道・宿場町

(中山道五十三番 岐阜市加納)

         

(関連記事:加納宿平成十八年 鵜沼宿 河渡宿 新加納 岐阜街道伊奈波 川原町 川手 笠松 加納城 加納八幡神社の楠

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津島

2011-12-08 00:00:36 | 街道・宿場町

(愛知県津島市 1982年5月6日)
 海部郡の中心地であった津島を訪れた。先ず市役所教育委員会に立ち寄ったが、頒布する郷土資料が紙一枚すらなく、他所と比較して取り組みの遅れを非常に感じた。全国の天王社、津島社の本宮である津島神社を参拝した後、その津島神社から美濃路土器野を経て名古屋に至る、上街道の風情の残る町並みを歩いた。

(津島市役所)
 (金町) 
 
(浄土宗飛龍山寶泉寺)
(伝弘法大師手植えの楠)
(浄土宗亀伯山大龍寺)
 『浪合記』によると、大龍寺は永享八年(1436)後醍醐天皇の曾孫、良王親王が、父尹良(ゆきよし)親王の菩提を弔うために建立したとされる。
 

(関連記事:天王川の藤 尾張津島の山車 津島神社花の撓 津島平成二十年

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比叡山鉄道

2011-12-07 00:00:46 | RODEN-哀愁のRailway-

(比叡山坂本ケーブル 滋賀県大津市坂本本町)
 ケーブル坂本駅と、ケーブル比叡山駅を結ぶ、標高差484m,全長約2kmの鋼索線である。
昭和2年(1927)に開業したが、戦時中は特攻機運搬手段として海軍によって接収されている。駅舎は双方共開業時に築造されたもので、国登録有形文化財となっている。
                       

(関連記事:門前坂本 比叡山東塔

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阿蘇カルデラ

2011-12-06 00:00:29 | 漂い紀行

(熊本県阿蘇市)
 赤馬場を南進すると、阿蘇山の火山活動によって形成された、南北25km,東西18kmのカルデラ地帯へと差し掛かる。
      (高岳)  (根子岳)

 この後は、阿蘇北斜面を上がっていく。

(関連記事:烏帽子岳草千里 阿蘇山西 阿蘇の信仰 左京ヶ橋 阿蘇赤水 阿蘇車帰 二重峠

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新宿

2011-12-05 00:00:48 | 街道・宿場町

 下北沢から小田急線でこの地に到着。訪れたときは、半年振りの新宿であった。
 

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萱野神社

2011-12-04 00:00:30 | かみのやしろ

(九帝王宮 滋賀県大津市大萱)
 瀬田は、古代、栗本郡勢多と呼ばれ、近江国府も置かれた地である。
 東海道線のすぐ側には、同線敷設時及び昭和44年(1969)瀬田駅開業の際に境内地を提供した萱野神社がある。社伝によると雄略天皇六年(461)に創建されたという。祭神は開化天皇である。
  

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姫田川界隈

2011-12-03 00:00:41 | 水のほとり

(山口県柳井市柳井津・姫田)
 柳と井戸の東には、同じく般若姫が名の由来となった姫田川がある。今は町角の水路といった様相となっている川の辺には、天長八年(831)創建の真言宗普慶寺など、幾つかの信仰対象がある。
     (粟島大明神)

(関連記事:国木田独歩旧宅 わんわん光台寺

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