(真言宗勝満山持明院崇彦寺 愛知県春日井市若草通)
厳密には仏像ではないが、「大きな仏さま」カテゴリーとして分類した。
勝川大弘法は、昭和3年(1928)に昭和天皇即位を記念して造立された、RC造り、高さ18mの像である。
(真言宗八幡山東寺 京都市南区九条町 世界文化遺産 国宝 国指定史跡)
延暦十五年(796)平安京羅城門の東西に「東寺」と「西寺」が建立されたのが始まりとされる。(西寺は室町時代に廃寺か)弘仁十四年(823) 嵯峨天皇が空海に東寺を勅賜したことから、「教王護国寺」と称し真言密教の根本道場となった。文明十八年(1486)土一揆等による兵火で伽藍の大半を焼失したが、次第に復興されていった。
(小子坊)(国宝 金堂 慶長八年) (重文 南大門 慶長六年)(国宝 五重塔 寛永二十一年)
(大阪市中央区谷町)
天満橋から阿倍野筋に至る谷町筋は、大阪の南北の幹線道路である。谷町は上町台地の縁にあり、西側の急斜面を谷と見立て、谷町という地名が生まれたという。かつてはこの谷町筋と並行する形で、淀川渡辺津から始まる熊野街道(熊野古道)が往来していた。
(真言宗亀居山放光院大願寺 広島県廿日市市宮島町)
創立時期は明らかではないが、建仁年間(1201-33)に再興されたという、薬師如来を本尊とする寺院である。室町時代以降は厳島神社の普請奉行の役割を担い、現存する本堂と楼門は元禄時代のものである。明治の神仏判然令によって、厳島神社の祭神市杵嶋姫命の本地垂迹(ほんじすいじゃく:化身)として祀られていた弁財天がこの寺に移されている。
(伊藤博文の九本松)
(かちがわ 愛知県春日井市勝川町)
前回訪れた平成2年は、宿舎に泊まる名古屋場所の力士が多く見かけられたときであった。今回訪れると、中央線勝川駅付近が高架化し、駅前が開発されていたが、離れたところで20年間暫定終点となっている城北線の接続が中断しており、整備途上感が否めなかった。
(城北線乗り入れ用スペース(高架中間)と城北線暫定終点(右奥))
カテゴリー 漂い紀行、城郭・城下町、いしにえびとの睡、かみのやしろ、ほとけのいおり の投稿済記事のうち、
孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊:おおやまとねこひこふとにのみこと)を祖とする氏族及び、孝霊第三皇子、彦狭嶋命(ひこさしまのみこと:伊予皇子)を祖とする次の三氏、
第一子を祖とする大宅氏(おおや):駿河国庵原
第二子を祖とする児島・三宅氏(こじま・みやけ):吉備国(備後)児島・三河国加茂
第三子、乎知命(小千御子:おちのみこと)を祖とする越智・河野氏(おち・こうの):伊予国高縄
の各氏に関連する記事カテゴリーを新たに設け、移します。
「孝霊天皇流族関係記事」
(京阪電気鉄道京津線・石山坂本線)
石山寺~坂本間14.1kmの石山坂本線と、御陵~浜大津間7.4kmの京津線を総称し、大津線と呼ばれる。平成9年の京津線京都市営地下鉄東西線乗り入れまでは、京津三条から御陵を経て、浜大津までの11.3kmの地上路線であった。浜大津付近の併用軌道(路面電車)では地下鉄乗り入れの4両編成が走行しているが、併用軌道では1編成30m以下(小型連接車2両編成以下)と全国で規定されている中でのご当地特例である。
(地域関連記事:石山 大津京跡 近江神宮 南滋賀町廃寺 門前坂本 比叡山鉄道 比叡山東塔 西塔 慈眼堂 日吉東照宮 走井堂 日吉大社 大宮川 流護因社 坂本律院 膳所 旧大津公会堂 琵琶湖浜大津 宇治から大津へ 萱野神社)
(伊都伎嶋神社 広島県廿日市市宮島町 世界文化遺産 国宝 重要文化財 名神大社 旧官幣中社)
宮島港から海岸沿いの参道を進むと、赤い伽藍が見えてくる。厳島神社は 推古天皇元年(593)、佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て社殿を創建したのに始まるという。祭神は宗像三女神(市杵島姫命:いちきしまひめのみこと、田心姫命:たきりびめのみこと、湍津姫命:たぎつひめのみこと)であり、市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天として本地垂迹(ほんじすいじゃく:化身)している。平安時代末期には平家一族の崇敬を受け、仁安三年(1168)平清盛が社殿を造営している。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けた。現在の社殿は、仁治年間(1240-43)以降に造営されたものである。戦国時代に入ると衰退するが、毛利元就が弘治元年(1555)の厳島の戦いで勝利し、元就が崇敬するようになり、大掛かりな社殿修復を行っている。
(国重文 八代目大鳥居 明治8年) (国宝 客神社) (国宝 祓殿・高舞台 室町時代)
(国重文 長橋 桃山時代・鏡の池 左上 国重文 能舞台 延宝八年 右下)
(国重文 反橋 弘治三年) (西の松原から) (清盛神社) (国重文 天神社 弘治二年) (国重文 長橋 桃山時代)
(関連記事:大願寺)