(神奈川県鎌倉市笹目・由比ガ浜・御成町)
鎌倉文学館から笹目町、鎌倉駅付近を漫ろ歩いた。途中には女流作家である吉屋信子が昭和37年から死没まで暮らした旧宅があり、御成町はかつて御用邸のあった名残である。辺りは海岸線から少し離れ、落ち着いた雰囲気を感じさせていた。
(横浜市営電車)
明治37年(1904)横浜電気鉄道が、神奈川 - 大江橋間を開業したのが始まりである。最盛期には20路線を有したが、加速度的に市街地の過密化が進んだため、昭和47年(1972)までに全廃された。滝頭車庫跡に市電保存館が設置され、7両の車両が展示されている。
(滋賀県長浜市港町 2004年6月6日)
慶雲館の敷地内には、第十九代横綱の常陸山の石像がある。これは、明治天皇行在所として実業家の浅見又蔵が築いた慶雲館の前庭に、又蔵が贔屓にしていた常陸山の石像を建てたものである。
(123系1号電車 長野県塩尻駅 2003年8月11日)
昭和58年(1983)中央線岡谷―塩尻間の塩嶺新線開業に伴い、それまでの旧線(大八廻り)が辰野支線となったことによって後に導入された1両の車両である。辰野支線の123-1は元々、昭和53年(1978)製造のクモニ143-1(荷物車)であり、昭和61年(1986)に旅客改造された。
(※平成25年4月に引退)
(京都市西京区嵐山宮町 旧式内社 官幤大社)
旧社地は背後の松尾山とされ、磐座(いわくら)とされる巨石がある。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)であり、古事記に「亦の名は山末之大主神 此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」という記述がある。大宝元年(701)には、勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営している。
(鎌倉文学館 神奈川県鎌倉市長谷 国登録有形文化財)
昭和10年(1935)に加賀前田家十六代前田利為の別邸として築造された、1階RC造、2.3階木造、延床面積1031m2の建物である。昭和58年(1983)に鎌倉市に寄贈され、昭和60年(1985)からは鎌倉市文学館として利用されている。
またこの場所には、嘉禄元年(1225)源頼朝の菩提を弔うため、北条政子が長楽寺という寺を建立し、後に北条泰時が安養院と改めた寺院が存在したが、元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めにより焼失している。
(鎌倉街道 茨城県稲敷郡阿見町)
かつては阿弥と書かれた霞ヶ浦南岸のこの地は、崇神天皇十八年(B.C.80)豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)が崇神天皇の勅命による東国平定で当地に訪れた際、「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都、実に能く天業を輔弼(ほひつ)せり、其神功成るに及びて天に還りしと、蓋し是地に於てするや」という歴史がある。
(名古屋鉄道豊川線 2003年10月12日)
稲荷口駅での反対列車待ちで、6連の3色5500系列車とすれ違った。先頭はスカーレットに白帯の5515編成2両。中間はライトピンクとダークマルーンのツートン5517編成2両。後尾はストロークリームに赤帯の5513編成2両。
(※5500系は2005年2月をもって廃車)