(臨済宗萬松山東海寺 東京都品川区北品川)
京浜東北線と山手線が分かれる場所に同寺の大山墓地があり、東海寺開山の沢庵宗彰(1573ー1645)、国学者賀茂真淵(1697ー1769)、天文学者渋川春海(1639ー1715)らが眠る。東海寺は寛永十六年(1639)徳川家光により創建され、元禄七年(1694)に大火で焼失するも、徳川家によって再建されている。然し、明治維新時に廃寺となり、境内塔頭(たっちゅう:末寺)の玄性院が東海寺を継承した。
(東京都品川区北品川 区指定史跡)
明治9年(1876)明治政府は興業舎硝子製作所を買収して、工部省品川硝子製作所を設立した。明治18年(1885)には再び民間経営となったが、明治25年(1892)に解散している。その後、製薬会社である三共の所有となり、昭和36年(1961)旧工場解体の際、煉瓦造の工場の一部を明治村に移築復原した。
(東京都目黒区自由が丘)
都立大学駅と自由が丘駅の間に、少し小高くなっている地点がある。昭和2年(1927)東横線開通までは山林、竹藪となっていたところで、かつては衾(ふすま)村であった。この区間は東横線の立体交差が予定されており、更なる変化が訪れるであろう。
(ひるいおおつかこふん 伝大碓命墳墓 岐阜県大垣市昼飯町大塚 2004年4月4日 国指定史跡)
14年前に訪れた際には、住宅地の中に鬱蒼とした木々の一角という光景であったが、その後発掘調査及び国史跡指定により整備され、木々も周囲の住宅もなくなり、光景が一変していた。然し、まだ整備途中という感じがした。
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(東京都中央区日本橋浜町)
隅田川右岸のこのまちは、江戸時代は武家屋敷のまちであったが、明治になると料亭のまちに変わり、関東大震災や空襲で壊滅した後は庶民のまちになった。細川家の屋敷であった隅田川のほとりは浜町公園となり、住民の憩いの場となっている。 濱町神社
(東京都中央区日本橋中洲町)
明治19年(1886)の中洲整備の際に船玉琴平宮として創建したのが始まりという。然し関東大震災によって被害を受け、昭和29年(1954)に至って改めて讃岐金刀比羅宮から勧請し、再建されている。