flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

掛川城大手門番所

2018-02-13 00:00:00 | 城郭・城下町

(静岡県掛川市城下 市指定史跡 2005年7月5日)
 大手門に隣接し、城内へ出入りする人者を調べる場所である。安政大地震で倒壊した後、安政六年(1859)に再建された、木造平屋入母屋造桟瓦葺、床面積32m2の番所である。
(関連記事:掛川城昭和五十七年 掛川城平成十七年)

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宇佐美

2018-02-12 00:00:46 | 海道・みなと

(静岡県伊東市宇佐美)
 伊東線宇佐美駅に降り立つ。衰退した駅前を突き当たると、相模湾となる。宇佐美は藤原氏族工藤氏が宇佐美荘を管理し宇佐美氏を名乗った地であり、良質な石材が取れることから江戸城の石垣にも使われた。

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渡辺崋山幽居跡

2018-02-11 00:00:00 | いにしえの人びと

(池ノ原屋敷 愛知県田原市田原町中小路 市指定史跡 2005年6月14日)
 寛政五年(1793)田原藩主三宅氏の臣として、江戸三宅坂の田原藩上屋敷で生まれた崋山は、上士の家であったが父定通が養子であり、また病弱であったこと、藩の財政が芳しくなくなったことから石高を四分の一に落とされ、渡辺家は困窮した。そのため崋山は絵を描いて生計を立て、田原藩においても財政の立て直しを行った。家老職を務めた崋山であったが、幕府を批判したことにより蟄居の身(蛮社の獄)となり、天保十二年(1841)藩への迷惑を悟った崋山は切腹。この地で最期を迎えた。

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北澤八幡神社

2018-02-10 00:00:25 | かみのやしろ

(東京都世田谷区代沢)
 文明年間(1469-87)世田谷城主吉良頼康によって創建されたという。西隣の浄土宗八幡山浄光院森巌寺はかつて別当寺(神宮寺)であった。

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平野家長屋門

2018-02-09 00:00:00 | 木のたてもの

(#森岡の家 静岡県浜北市貴布祢 2005年6月8日)
 江戸時代の豪農平野家の長屋門は江戸末期のものと推定されている。明治に入り林幹造が平野家に養子に入り、又十郎を名乗って静岡銀行の前身を築いた。平野家は平成5年に浜北市に土地家屋を寄贈し、以後市が管理しているようだが、有効活用されていないように感じる。近隣駅前に先頃開設された「なゆた浜北」に入る図書室や郷土資料室をこの敷地内で展開した方が自然の流れと感じるのだが。

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幕末維新祭り

2018-02-08 00:00:00 | かみのやしろ

(東京都世田谷区若林)
 吉田松陰を祀る松陰神社の例大祭に合わせて催される祭りである。平成4年、商店街の活性化として、吉田松陰の出身地である山口県萩市の商店街との交流を開始し、萩市及び萩商工会議所、観光協会、物産協会からの支援を得て始まった催しである。
     

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信玄病院牧野文庫

2018-02-07 00:00:00 | 学びのやかた

(愛知県新城市八束穂 2005年6月9日)
 信玄塚に程近い旧伊那街道筋に木造二階の建物がある。大正4年(1914)に開館した私立図書館であり、隣接していた信玄病院や東三電気株式会社、牧野紡績、劇場花菱座等を経営した牧野文斎が開設したものである。蔵書は二万冊余りを有し、無料で貸し出されたが、大正13年(1924)に閉館し、昭和12年(1937)蔵書が新城町立図書館に移管された。

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東芝未来科学館

2018-02-06 00:00:00 | 学びのやかた

(川崎市幸区堀川町)
 元々は東芝小向工場内にあった東芝科学館を、川崎駅西の同社川崎事業所再開発に伴い、スマートコミュニティセンター(ラゾーナ川崎東芝ビル)2階に平成26年に設置された教育支援施設である。企業博物館であるため、同社の歴史が紹介されているが、人と科学のふれあいをコンセプトとした構成がなされている。

 

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旗頭山の景色

2018-02-05 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県宝飯郡一宮町金沢字藤弦 2005年9月11日)
   

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浅草平成二十八年

2018-02-04 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都台東区浅草)
 スカイツリーの見える隅田川畔にカフェがあった。川べりの治安をよくするためにできたようだ。昔大道芸をしていた店主と話をし、松竹所有の店でできて三年の店は、先月から店を預かることになった店主。浅草六区に移り住んで八年で以前は、あざみ野にいたとか。浅草の人と深い付き合いができたそうで、お店の壁を使って浅草のアーティストの作品を紹介する場所にしたいようだった。移り住んだばかりの頃は、大道芸をしながら絡まれたりケンカをしたりしたそうだが、今は地元の人の中にどっぷり浸かり、お互いが前向きになるように毎日交流しているようだ。

        

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敦賀

2018-02-03 00:00:00 | 街道・宿場町

(つるが 福井県敦賀市 2005年9月1日)
 敦賀の駅に降り立つ。街道、港湾、鉄道と交通の要所である敦賀は、崇神天皇五十八年(B.C.40)に意富加羅国(古代朝鮮)の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が笥飯浦(けひのうら:気比神宮付近)から上陸し、角鹿(つのが→つるが)の地名由来になったとされる。

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中野平成二十八年

2018-02-02 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都中野区)
 一年振りの中野。いつも変わらない賑やかなアーケード。
 

(関連記事:中野平成二十七年)

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名松線

2018-02-01 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(めいしょうせん 2005年7月11日)
 紀勢線松阪駅から美杉村伊勢奥津駅までの43.5kmを結ぶ路線である。名張と松阪を結ぶ当初の目標は、桜井と名張、松阪を結ぶ桜松線であったが、昭和5年(1930)参宮急行電鉄(1944-近畿日本鉄道)が並行路線を開通させたため、目標を名張までとし、結果として伊勢奥津までにとどまることになった。収益は開業から現在まで芳しくないが、沿線道路未整備を理由に存続し続けている。
             

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