(名古屋市中区本丸・旧所在地:島根県松江市山代町団原 2008年5月27日)
団原古墳は古墳時代後期の古墳であり、名古屋城本丸跡に奥行1.8m,幅2.5mの団原古墳のものとされる石棺が置かれている。昭和42年(1967)個人が寄贈したものであるが、これは出雲地方にみられる石室と石棺が一体になった形式である。
(静岡市葵区浅間町 2008年5月23日)
社伝によると、崇神天皇七年(BC91)天社国社の制が定められたとき、大和国磯城郡の志貴氏がこの地に赴任し、駿河国の神部神社として稚日女尊(わかひるめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)を勧請したのが始まりという。境内にある神木の楠はその当時に植えられたものとされる。後に誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀り、八幡宮となった。
(静岡市葵区安東 2008年5月23日)
和銅四年(711)の社殿棟札が残るという。蝮除けの利益があり、天明八年(1788)禁裏(御所)に蝮除けの神符を奉ったとされる。明治維新の際には、駿府に移り住んだ徳川慶喜により鳥居が寄進されている。
(静岡市葵区追手町 国登録有形文化財 2008年5月23日)
昭和12年(1937)静岡市役所や豊橋市公会堂を手掛けた建築家中村與資平によって設計された、RC造4階塔屋付、延床面積15,849m2の庁舎である。
(静岡市駿河区用宗城山町 2008年5月23日)
持舟城麓に鎮座する、木花咲耶姫(このはなさくやびめ)を祀る神社である。宝暦三年(1753)に創建されたが、安政地震により大破したため、文久三年(1863)に再建されている。明治時代以降、村内の熊野神社、津島神社、八幡神社が境内に遷宮している。
(岐阜県瑞穂市生津 2008年5月18日)
安政元年(1854)生津村の庄屋の子として生まれた西堀弥市は、生津村が長良川に注ぐ糸貫川の河口沿いで毎年のように洪水にみまわれた地で育った。農作物が被害を受けるこの地を何とかしようと、各地の産業に目を向け、水に強い原材料を加工した京都府福知山の柳行李などの杞柳(きりゅう)細工をこの地の産業にしようと試みた。その後、280戸が柳行李やバスケット等を生産する地となり、海外にも輸出された。大正14年(1925)同氏は没し、この顕彰碑が建立された。