京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 “雨隠り・あまごもり” - 2

2009年11月17日 | 日々の暮らしの中で
    着ぶくれて首をのせたる如くなる   (安田蚊杖)
    百貨店めぐる着ぶくれ一家族     (草間時彦)

寒さを防ぐのに何枚も着込んで、まるまると体がふくらんで見える。動作も鈍くなる。一枚でも多く着込みたくなる昨日今日。着ぶくれせずに暖かく、そんな優れものは今や普通だろうから、むしろ「着ぶくれ」のほうが少ないのだろうか…。いやいやわからんぞ、外出時のお体裁はともかく、人目のない家に入れば案外?などと勝手な想像で自己弁護。

“百貨店”と言えば…、中学校卒業の春、母と二人で「日本橋三越店」に出かけた。海外出張から帰国する父を羽田空港に出迎える、その前の母との時間にクリーム色のニットのアンサンブルを買ってもらったことを記憶している。

愚痴をこぼす母は覚えていないくらいだ。八十八でなくなった祖母が、後年、“ご飯を食べてない”というお悩みを口外していたのにも笑っていた。体裁が悪かったろうにと思うけれど。ボタンの花の横で笑う母の写真。引けを取らない美しさは娘としてひそかな自慢だった。う~ん、美化しすぎね…。

この年の三月は、私の公立高校受験を前にしても父はずっと不在だった。
風邪で寝込んでいた私の変わりに、母が二回目の合否を聞きに中学校へ。すでに私は、ある女子大の付属高校に合格していた。父は娘の思いを知りながらも、当時で十数万という高額の入学一時金を支払ってくれていたが、結局は無駄にしてしまった。
どうしても、なんとなく嫌、それだけの理由で、私は親の敷いたレールは降りた。そんな事情も知る父を出迎えに行く日だった。

行けばいつも頭が痛くなるほど、人混みが苦手だった私は百貨店にあまり楽しい思い出はない。そんな中で、アンサンブルのニットが嬉しかった……。

雨隠り(あまごもり)第二弾。『十八の私』などに思いを馳せていて浮かんだ「十五の春」。この選択は、わが人生のひとつの英断?、大正解となっていく。

コメント (4)
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