京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 京の狭さ…

2009年11月09日 | 日々の暮らしの中で
   

写真左は京都府庁。用事を済ませ、普段は車でしか通らない道を歩きながら今出川通りまで北へ向かって歩くことにした。
味噌の香りが漂う醤油屋さんを過ぎ、グランドを走る子供たちの姿を覗き見、やがて一方通行の小さな通りが目についた。狭い道だ。隣家とは隙間もなく見える。

     久しぶりに「仁丹」と遭遇。
「上京区 武者小路衣棚西入 武者小路町」とある。(写真奥へとではなく、表示板のある手前の筋)

森下仁丹が、大礼服姿の人物入りの町名表示を全国に掲げ始めたのは明治43年からだという。多くの都市で空襲や都市改造によって失われたが、空襲の被害をそれほど受けなかった京都には多くが残ったらしい。

茶道家元の武者小路千家の屋敷などがある。小川町から烏丸通りまでの500メートルほどの短い通り― などと説明されている。かつては「無車小路通」と呼ばれた記録があるようだ。

京都は街自体が狭い。当然“社会”も狭い。
そこでは、友達の友達はみんな友達。いいも悪いも噂の流れは超特急…。

商売の要となるものに紹介制があるとして、
  どなたか紹介者を立てて買い物をし、いいものが手に入ったらその喜びをまず  紹介者に知らせる。
  紹介した人は、お店に連絡して、顔が立ったことの報告をする。
  紹介者とお付き合いが長くなり、紹介者から「もう○○さんと直接やって下さ
  い」と言われるまでは、紹介者を飛ばして直接の連絡をしない。
  これは京都の常識になっていると思う。京都ならではの恐いところどすえ。

これは、京都の「おそろしきは」の一つに“京の狭さ”を挙げられる芦屋小雁さんのお話だ。
ま、何も京に限らず、狭い世間を痛感することは多いはずだろう…。

ついでにひとつ、「おそろしきは ― 京おんな」ですって…。興味がおありでしたら、
『小雁の 京都人の取扱説明書 いやいやかなんわぁ ものすごいこといわはる』
(京都新聞出版センター)などいかがでしょう。面白いですが。

コメント (12)
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