滋賀県近江八幡市安土町にある安土城考古博物館まで行ってみました。
名神高速道上りはわずかに渋滞、竜王で下りてから8号線で向かいました。湖東平野は米どころ、太陽が照りつける青々とした田んぼが広がる、緑の海です。車を脇に停めて、青いにおいを吸い込みながらあたりを一望。日頃なかなか目にすることのない風景に、安土まで来た嬉しさもあってか、いい気分です。
開催中の夏期特別展【琵琶湖の華麗なる漁と美味なる食-魚・人・琵琶湖の過去・現在・未来-】に関連して、「琵琶湖の華麗なる漁法-魚と人の知恵比べ」を副館長さんがお話でした。
夜、ヤスを持って就寝中のコイやフナを襲った縄文人(入江内湖遺跡)の知恵。湖面に群れ上がったアユを網でいっきにすくい取る堅田の漁師さん。琵琶湖ではトロール漁など、動力を使うのは禁漁だそうです。漁法によって魚の値段が違う。一匹一匹釣り上げて生きたまま消費地の京都祇園に運んだアユは、大工さんの日当が450円の時代に、1匹120円だったとか。2万円とすれば5300円。今、琵琶湖では定置性の大きな罠を使って魚を陥れる漁法、エリが発達しているようです。
淡水の大きな水面、海にはない環境への理解、魚の習性、水の流れ等々、熟知したうえでの人間の知恵の使いようが、琵琶湖の多様な漁法を発達させ、継承されてきたのでしょう。それは食の文化にも支えられているようです。“琵琶湖の魚は美味しいですよ” 琵琶湖の魚料理の数々が発信されていました。人の生命を守り、豊かな文化を育む琵琶湖だとわかります。
【琵琶湖大橋がかかっている場所に堰堤を設けてコンクリートで囲った内琵琶湖を造る】1960年代にはこんな形態での琵琶湖開発案も出されていたと知ったのはちょうど2年ほど前、京都新聞でのコラムででした。琵琶湖を南北の湖に分断しようというわけですから、驚きました。
琵琶湖の冨栄養化問題は中学校の国語の教科書でも取り上げられていました。赤潮の発生を受け、リンを含む合成洗剤販売を禁止した滋賀県琵琶湖冨栄養化防止条例を設定。その施行を記念して1981年、7月1日を「びわ湖の日」とした経緯があります。
ここは「近江風土記」と呼ばれる歴史公園の一角。帰り道、隣の「安土城天主 信長の館」に立ち寄りました。
築城3年で焼失し幻の名城と呼ばれてきた安土城でしたが、【近年になって加賀藩の御砲大工に伝わる「天守(主)指図」が発見される。元・愛知大学学長 内藤昌氏により「信長記」「信長公記」などの資料との照合や遺跡発掘、実測調査の結果「安土城」であることが解明された】と案内されています。
6階部分に金箔10万枚を使用したという外壁の豪華な輝き。金箔の鯱(しゃちほこ)が顔を見せる大屋根を見上げます。5階部分の天界をイメージしたという見事な黄金の間。高さ46m、世界初となる絢爛豪華な木造高層建築物の様相を「ヨーロッパにもあるとは思えない壮大なもの」とキリスト教宣教師を絶賛させたとか。山城を仰ぎ見た光景や如何に…。城跡の周囲も、実は琵琶湖を削って埋め立てた干拓地です。
湖岸道路への近道を聴きに立ち寄った大中のスイカの直売所。「ひとつこうてえな~」に負けました。