京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

往きはよいよい、天神さん

2017年04月25日 | 催しごと

毎月25日は北野天満宮の「天神さん」と呼ばれる縁日が開かれます。今日はウォーキングを兼ねて歩いて行ってみようと決めていました。市営地下鉄の今出川駅から地上に出て西へ。何度も信号待ちをしながら足元は快調に40分強。その後、天神さんをぶらぶら見歩いて、小一時間。これで疲れました! 鳥居近くまで戻ってやれやれと腰を下ろして、一服でした。油のムッとする匂いが漂ってきます。

柳宗悦は著書『京都の朝市』の中で東寺の弘法市について、「何もかも、けじめなく売る」「何でもかでも並べる市である」と記し、さらに、天神さんはこれと双璧をなし、境内境外にぎっしり所せまきまでに物で埋まると、その様を綴っています。

「大体こういう朝市には、何も名のある立派なものは出てこない。だから評判などに便ってものを見る要もない。こういう所にこそ、誰もに自由な選択を求めているのである。ここが大いに魅力のある所であろう。こんな場所では知識などは余り役に立たぬ。それだけに直感が遠慮なく活躍せねばならぬ。之が働くと、物の方でも悦んで近寄ってくる」

誰もが楽しそうに、熱心に、それぞれの表情で物を手に取って見て、場合によっては値段と相談です。「それ買うてえな、五つ揃えて。頼むわ。明のな…」などと聞こえてきました。明の時代のものって本当? などと思う私です。あの人、買ったのかしら…。
外国人の男性が徳利を手に、店主に値段を聞いたようです。主人は、指を1本立て、続いて2本を立てて、2回繰り返して、12000円だと伝えました。どう解釈したのか、伝わらなかったようにも見えたのですが、首をかしげて元に戻しました。連れの女性が何か言った言葉は、英語ではありませんでした。他の店でも徳利を探す彼の姿を見たのでした。

一つ500円とした猪口の籠に、若い女性が頭を寄せていました。図柄は様々ですが形とサイズは揃っていて、でも家の整理で出た不用品の集まりの域を出ない感もあるのですが、普段使い、勝手道具と呼ばれる雑器、その価値は見る人によって、また新たな使い手によって異なるということなのでしょう。

まさか、どこぞの道祖神などではないでしょう。道路上に置かれた意外なものを目にしましたが、仏さんでもブルーシートの上に並ぶことがあるのです。
  
   〈仏さま売られておはす梅雨筵〉 〈盗品にあらずよ買へや陶まくら〉 こんな西野文代さんの句が浮かびます。(『おはいりやして』)

        

わらび餅を買って帰りました。もちろん、最寄りの地下鉄駅までバスを利用して。くったくたになりました。
コメント (8)
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