京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「積ん読崩し」

2020年05月25日 | こんな本も読んでみた
         

「時間が自由になるこんなときでないと読めない本がある」「かなり長大な作品」「静かに自分を見つめ続けた記録なので、それを読む読者のがわにもゆったりした時間が必要だろう」

新聞紙上で〈積ん読崩し〉と題したコラムが始まり、今日で5回目になった。
紹介される作品には長短関係なくあまり気持ちが向かないが、私自身にも3月に買ったまま積ん読状態で文庫本4冊が残されていた。昨日読み終えた『秋萩の散る』(澤田瞳子)には、5編の短編が収められている。

帰国の途に就いた4隻の遣唐使船。藤原清河、阿倍仲麻呂、鑑真らが乗っていたが、清河、仲麻呂が乗った1船だけは日本の港に着くことがなかった。玄宗皇帝のもとで出世した仲麻呂は56歳になっていた。帰国しても重用の見込みもない心の裡…。「夢こそ未来を切り拓く」と20歳で唐に渡った仲麻呂の夢を描いた万葉オペラの舞台を観たことがあった。思い合わせて読んだ「凱風の島」。

日本と唐を行き交う船には遭難がつきものだった。国と国を結ぶ200とある南洋の島々を富ませるために、島の位置を書き記すのに石碑ではなくあえて木牌で立てることを選んだ高橋連牛養。彼の真意を知り、遺志を継ごうとする吉備真備。「桃李もの言わざれども下自ら蹊(みち)を成す」、と「南海の桃李」。

阿倍女帝(孝謙天皇)の死後たちまち下野薬師寺に追いやられた道鏡は、女帝に寵愛され、並びなき高職につき、帝位さえも狙う稀代の妖僧だと仕立てられる。女帝が自分の人生を狂わせた、と胸のどこかで芽吹く恨みの種…。だが、美しい過去の思い出のひとかけらを胸に、70歳を過ぎたこの先を生きていこうとするまでの心の裡が描き出されていたのが表題作「秋萩の散る」。

歴史上に名前を知られた人物の様々な人生を見ながら、澤田さんが描く5編の世界がつながり、一つに合わさって、豊かに濃い余韻に浸る時間が訪れる。ほんのひと時であれ、時代に生きて悲喜こもごもを味わう。司馬さんが言われていた「精神の酔い」なくしては味わえないものだろう。

黒岩重吾の『弓削道鏡』を読んだのがちょうど55歳のときだった。ある日、どうした具合か突然だったが右膝関節に痛みが出て歩こうにも歩けず整形外科を受診した。一週間に一度、何回か通ってワンクール、ステロイドと記憶しているが注入した。効き目は早く、以後一度の再発もないままでいるが、このときに図書館で借りてきて読んだのがこの作品だった。ちょっと読み返してみたくなった。
コメント (4)
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