どこといって行きようがない今だが、「『あじさい忌に』尾道へ。」一度は訪ねてみたいと、再読になるが『ひとり居の記』(川本三郎)のページを繰っていた昨日。
芙美子生誕110年にあたる2013年の6月の末に講演の仕事で尾道に行かれたことから書き始まる。
尾道では47歳で夭逝した作家・林芙美子の命日(6月28日)を「あじさい忌」として顕彰していて、氏は着いたらすぐに千光寺公園内にある尾道市立美術館を訪れたようで、大正モダンと呼びたい素晴らしい建物だと賞賛されている。
千光寺、境内からの海の眺めが素晴らしいという浄土寺。行ってみたいとこれまで何度も思いはわいたが、きっかけがないままに。東京から新幹線で行くも、倉敷か福山で在来線に乗り換えるのが氏のこだわりらしい。それも、映画「東京物語」の原節子に倣ってのことだそうで、むろん帰りもだと。
女学校時代の先生が芙美子の思い出を記したものを引いていたが、それによると芙美子は明るい性格で、「朗らかでクラスではいつも笑いの中心になっていた」という。〈花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき〉。林芙美子といえば貧乏のイメージが付きまとってくるが、実は、〈花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かれど、「風も吹くなり 雲も光るなり」〉と続くのだと知って、芙美子の印象を改めたことがあったのを思い出した。性格の一端がのぞけ、ずっと好感が持てる。
天候がイマイチで、外出予定もないせいだ。『本と暮らせば』(出久根達郎)では中谷宇吉郎の「I 駅の一夜」を知り、青空文庫で読んでみた。この I駅はどこのことだったのだろうと思いながら、駅に近いというつながりで、長野県の塩尻駅にごく近い宿で友人たちと一泊したことを思い出すことになった。ここから名古屋に向かった二十歳代の思い出を。
母娘のブラウスと、幼子のステテコづくりをし始めていて、この洋裁のあい間の時間を楽しむために本を読むといった感じ。そんなこんなで昨日は一日が暮れちゃった…。