4月初旬には京北の地にある常照皇寺に桜を訪ねたが、以来、人の出のある所へは行かないように心がける毎日だった。花のタネをまいたり読書をしたり、手作りマスクやちょっとした洋裁を手掛けてみたり、仏具の磨きものや家内の片付け等々で日を過ごし月末に。
5月になっても自粛の生活が続く時、田辺聖子さんの〈気を取り直す、という才能〉という言葉を心に留めていた。
閉塞感のある日々に心身をほぐす工夫を優先した。それがウォーキングの機会を増やすことだった。ゆっくり歩く 歩きなれた道ばたででも新鮮な目を凝らし、耳を傾ける。通りがかりのよそさんの庭木、路傍の花、鳥の声。季節の移りはちゃんと感じてきた。
今まだ檀家さんへの月参りもなく、私自身も相変わらずのひと月を過ごしてきて5月も終わろうとしている。
聖子さんは、人間が持っている良きもの二つとして〈期待と弾み心〉を挙げられていた。ここでこそ気持ちを引き立てようとまずは一昨日、美容院に行って、いつになく短めにカットして、ゆるくパーマを当ててもらった。「6月の例会への準備も進むね」と。そう、ちょっと先に気持ちを向けて、自分の今を自分が満足できる状態にしていきたい。何でもいい、自らを奮起させる力がいるほどに家籠りが長かったものね。
冬にはすべての葉を落とす梶の木に柔らかな若葉が吹いて、まだまだ小さいけれどたくさんの実をつけている。誰か見上げる人はいてるだろうか。立ちどまってじっと見るのが、通るたびのひそかな楽しみになっている。