京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

無事を喜ぶこと

2020年05月07日 | 日々の暮らしの中で

朝刊の休刊日で、朝の楽しみに大きな穴があく。
ウグイスの鳴き声がしきりに聞こえてくる。午前中は本を読んで過ごした。

散歩やウォーキング、時には孫と公園に出かけることを日課のようにしてきたので、比較的うまく気分転換してきたつもりでいる。それでも、ああ、いつまで続くのかと、さすがに少々「自粛疲れ」のイライラ感が我が身を襲うようになってきた。「。。たい」「。。。たい」、たいと、たいたい尽くしで、多いつもりで少ない分別、といったところ。

〈若い頃には、変わりない日々に物足りなさを覚え、時には苛立ったこともあったが、もともと人間の暮らしは、最も充実しているとき、概して平坦で静かなものだ。日々の暮らしにあっても、また旅に出ても、人は無事を喜ぶではないか。事が無いということ、平坦に変わりなく生命(いのち)が流れるということ、それは御仏の慈悲と考えていいものなのだ〉
久しぶりに都を訪れた西行が、藤原秋実に変わりがないことを何よりのことと喜んで語る一節があった(『西行花伝』)。

まあるいお月さんが東の山の上に昇ってきたのを見ていた。
清らかな月の輝きに、心も澄みゆくようだ。今日も無事に一日を終えられたことを喜ばせてもらおう。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする