
周囲の山々は次第に色を濃くし、ブロッコリーのような盛り上がりを見せてもいる。初夏の光が注ぎ、万緑に英気が満ち溢れる。この力に私は時として圧倒される。
立派な枝ぶりに豊かに葉を茂らせた満開のヤマボウシが風に揺れて、爽やかで気分がいい。
白いと言えば、大山蓮華をみてみたい。この天上の白い花は、弥山から釈迦ヶ岳への尾根筋にだけ咲く幻の花だった、と前登志夫氏が書いている。氏には大峰修験の山伏たちの白装束が奥駈道を行く光景を想像させる花だという。白はすべての始まりだ。
「若葉の木々は全身をもっていのちを歌いあげているのだ。その幹に感情がみなぎり、大地をしっかり掴んだ根っこから 、しなやかに空を指す梢まで樹液を上昇させ、木々の言葉を五月の風にひるがえしているのである」(『いのちなりけり吉野晩禱』)
やさしい自然も、荒ぶる自然も、わたしたちが「よみがえり変身する力」そのものにほかならないとも氏は書かれる。
心身ともによみがえる体験。こう家にこもりがちな日々には近隣を歩くほどしかなくきた。
コロナ禍は気象の異変によるものではないにしても、氏の言われる「非時の嵐」と言えなくもない。「新しい生活様式」という言葉がしきりと耳に入って、変化を求められている。少々うんざりするし、窮屈ではあるが、今を生きるには工夫するしかない。
心身ともによみがえる。変身する。さてどのように…。人と人、心と心、つながって…。