・・・東京、大阪、名古屋など、たくさんの都会が空襲を受け、焼けてしまった。
【 その朝、ひろしまの空は、からりとはれていました。
真夏の太陽は、ぎらぎらとてりはじめていました。
ひろしまの7つの川は、しずかにながれ、
ちんちん電車が、ゆっくりはしっていました。 】
『ひろしまのピカ』 (丸木俊 え・文)の始まりです。

7才のみいちゃんがお父さんとお母さんと朝ご飯を食べていた1945年8月6日、午前8時15分。人類初めての原子爆弾が落とされ、
「かぞえきれないおおぜいの人がしに、そのあとも ぞくぞくとしんでゆきました」
みいちゃんは、いつまでたってもちっとも大きくならないで、7つのときのままです。

この絵本の最後は、髪が白くなったお母さんの言葉で終わります。
「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」
原爆の日拡声器沖へ向く 西東三鬼
ただただ空しい。大声が返ってこない虚しさ。 ー と、選句した宇多喜代子さんの評が添えられてある。
核のない世界に。しかし人間の欲は恐ろしい。スローガンを掲げるだけならたやすいのだ。「核抑止論は破綻している」。そう思うけれど、拡声器で叫ぶこともせず、私は何を…。
母方の叔父が教師を目指して広島の学校で学び始めた。東京から広島へ、そのあたりの経緯を詳しく知らないが、被爆したと聞いたことがある。
子どもがなかったが夫婦それは仲良く、叔父も定年まで福島県いわき市の高校で教諭として勤めあげた
福島県や宮城県に住み着いた二人の叔父を頼って、大学の夏休み中に幾度か訪れている。
原爆の日。仙台の七夕を見に寄ったこともあった。
その時に買い求めたものが今に残る。
時を経て、今度は娘が大学の夏休みで帰郷した折、連れだって広島を訪問したことがあった。娘にも見ておいてほしい。
広島への思いを行動に移した唯一のことだったなと、昨夜は、ニュースを見ながらあれこれを思いだしていた。
【 その朝、ひろしまの空は、からりとはれていました。
真夏の太陽は、ぎらぎらとてりはじめていました。
ひろしまの7つの川は、しずかにながれ、
ちんちん電車が、ゆっくりはしっていました。 】
『ひろしまのピカ』 (丸木俊 え・文)の始まりです。


7才のみいちゃんがお父さんとお母さんと朝ご飯を食べていた1945年8月6日、午前8時15分。人類初めての原子爆弾が落とされ、
「かぞえきれないおおぜいの人がしに、そのあとも ぞくぞくとしんでゆきました」
みいちゃんは、いつまでたってもちっとも大きくならないで、7つのときのままです。

この絵本の最後は、髪が白くなったお母さんの言葉で終わります。
「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」
原爆の日拡声器沖へ向く 西東三鬼
ただただ空しい。大声が返ってこない虚しさ。 ー と、選句した宇多喜代子さんの評が添えられてある。
核のない世界に。しかし人間の欲は恐ろしい。スローガンを掲げるだけならたやすいのだ。「核抑止論は破綻している」。そう思うけれど、拡声器で叫ぶこともせず、私は何を…。
母方の叔父が教師を目指して広島の学校で学び始めた。東京から広島へ、そのあたりの経緯を詳しく知らないが、被爆したと聞いたことがある。
子どもがなかったが夫婦それは仲良く、叔父も定年まで福島県いわき市の高校で教諭として勤めあげた
福島県や宮城県に住み着いた二人の叔父を頼って、大学の夏休み中に幾度か訪れている。
原爆の日。仙台の七夕を見に寄ったこともあった。

時を経て、今度は娘が大学の夏休みで帰郷した折、連れだって広島を訪問したことがあった。娘にも見ておいてほしい。
広島への思いを行動に移した唯一のことだったなと、昨夜は、ニュースを見ながらあれこれを思いだしていた。