京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」

2023年08月07日 | 日々の暮らしの中で
・・・東京、大阪、名古屋など、たくさんの都会が空襲を受け、焼けてしまった。

 【 その朝、ひろしまの空は、からりとはれていました。
   真夏の太陽は、ぎらぎらとてりはじめていました。
   ひろしまの7つの川は、しずかにながれ、
   ちんちん電車が、ゆっくりはしっていました。 】

『ひろしまのピカ』 (丸木俊 え・文)の始まりです。

 

7才のみいちゃんがお父さんとお母さんと朝ご飯を食べていた1945年8月6日、午前8時15分。人類初めての原子爆弾が落とされ、
「かぞえきれないおおぜいの人がしに、そのあとも ぞくぞくとしんでゆきました」
みいちゃんは、いつまでたってもちっとも大きくならないで、7つのときのままです。


この絵本の最後は、髪が白くなったお母さんの言葉で終わります。
「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」

   原爆の日拡声器沖へ向く     西東三鬼
ただただ空しい。大声が返ってこない虚しさ。  ー と、選句した宇多喜代子さんの評が添えられてある。

核のない世界に。しかし人間の欲は恐ろしい。スローガンを掲げるだけならたやすいのだ。「核抑止論は破綻している」。そう思うけれど、拡声器で叫ぶこともせず、私は何を…。

母方の叔父が教師を目指して広島の学校で学び始めた。東京から広島へ、そのあたりの経緯を詳しく知らないが、被爆したと聞いたことがある。
子どもがなかったが夫婦それは仲良く、叔父も定年まで福島県いわき市の高校で教諭として勤めあげた

福島県や宮城県に住み着いた二人の叔父を頼って、大学の夏休み中に幾度か訪れている。
原爆の日。仙台の七夕を見に寄ったこともあった。

     その時に買い求めたものが今に残る。

時を経て、今度は娘が大学の夏休みで帰郷した折、連れだって広島を訪問したことがあった。娘にも見ておいてほしい。
広島への思いを行動に移した唯一のことだったなと、昨夜は、ニュースを見ながらあれこれを思いだしていた。
コメント (2)
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