「うちも自己流やけどな、見栄えよう立てたらいい」のだと言う義母の手元を見ながら、見よう見まねで覚えてきた本堂のお花を立て終えた。
本堂の縁で、阿弥陀様とお脇にそれぞれにお花を立てながら、代代を支えた女(坊守)たちに思いがいくのが常のことなら、ふと自分の来し方を振り返ることもまたいつものことだろうか。
義母と私の実父とは幼馴染みだったが、父の母親(私の祖母)は、やはり真宗寺院の生まれだった。私が嫁いできたころ、この「おみを」さんを知る人もいて、せせこましい世間を煩わしくさえ思ったことがある。
遠く離れた父の郷里は、馴染みもなく縁遠い地だった。それが、この地に来て、自分は知らなくてもよそ様は私を知っているという様々な縁の中で暮らすようになったのだから、やっかいだった。
人との結びつき方を模索しながら日常に根を張る。そんな努力が求められた、今は昔のこと。
やがては自分自身が確実に「先祖」の仲間入り…。けれど、8月13日にはこの世に戻って来るよなんて、おそらくありはしないことなのだろうなあ、と思ったりする。

毎年ちょっと気ぜわしい思いを抱えながらも出向かずにはいられないのが、この時期に糺の森で開催される下鴨納涼古本まつり(~16日)。

講談社学芸文庫で手に入ることを知ってはいたが、現物を前にしてはためらってきた。
この一冊を求めて足を運んだともいえる今回、最後の最後になって、あった!のだ。 800円と半値以下で手に入れた。手元に欲しかったのだ。
「新刊本が売れないだろ」という息子の言葉は、頭の中を通り抜ける。

「よかったですね」「出会いがありましたね」と、私の喜びに店の人たちが言葉を添えて下さった。
「期待とはずみ心は人生をおいしくするためのもの」って田辺聖子さんが言われていたっけ。
本堂の縁で、阿弥陀様とお脇にそれぞれにお花を立てながら、代代を支えた女(坊守)たちに思いがいくのが常のことなら、ふと自分の来し方を振り返ることもまたいつものことだろうか。
義母と私の実父とは幼馴染みだったが、父の母親(私の祖母)は、やはり真宗寺院の生まれだった。私が嫁いできたころ、この「おみを」さんを知る人もいて、せせこましい世間を煩わしくさえ思ったことがある。
遠く離れた父の郷里は、馴染みもなく縁遠い地だった。それが、この地に来て、自分は知らなくてもよそ様は私を知っているという様々な縁の中で暮らすようになったのだから、やっかいだった。
人との結びつき方を模索しながら日常に根を張る。そんな努力が求められた、今は昔のこと。
やがては自分自身が確実に「先祖」の仲間入り…。けれど、8月13日にはこの世に戻って来るよなんて、おそらくありはしないことなのだろうなあ、と思ったりする。

毎年ちょっと気ぜわしい思いを抱えながらも出向かずにはいられないのが、この時期に糺の森で開催される下鴨納涼古本まつり(~16日)。

講談社学芸文庫で手に入ることを知ってはいたが、現物を前にしてはためらってきた。
この一冊を求めて足を運んだともいえる今回、最後の最後になって、あった!のだ。 800円と半値以下で手に入れた。手元に欲しかったのだ。
「新刊本が売れないだろ」という息子の言葉は、頭の中を通り抜ける。

「よかったですね」「出会いがありましたね」と、私の喜びに店の人たちが言葉を添えて下さった。
「期待とはずみ心は人生をおいしくするためのもの」って田辺聖子さんが言われていたっけ。