京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

一輪の花の力

2023年08月09日 | こんな本も読んでみた

  「花を奉るの辞」 

 春風萌すといえども われら人類の劫塵いまや累(かさ)なりて 三界いわん方なく昏し まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘なわるるにや 虚空はるかに一連の花 まさに咲(ひら)かんとするを聴く ひとひらの花弁 かなたに身じろぐを まぼろしの如くに視れば 常世なる仄明りを 花その懐に抱けり 常世の仄明りとは この界にあけしことなき闇の謂(いい)にして われら世々の悲願をあらわせり かの一輪を拝受して今日(こんにち)の仏に奉らんとす
 花や何 ひとそれぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の思いあり そを取りて花となし み灯りにせんとや願う 灯らんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの花あかりなるを
 この世を有縁という あるいは無縁ともいう その境界にありて ただ夢のごとくなるも花かえりみれば 目前の御彌堂におはす仏の御形 かりそめのみ姿なれどもおろそかならず なんとなれば 亡き人々の思い来たりては離れゆく 虚空の思惟像なればなり しかるがゆえにわれら この空しきを礼拝す 然して空しとは云わず
 おん前にありてたゞ遠く念仏したまう人びとをこそ まことの仏と念(おも)うゆえなればなり
 宗祖ご上人のみ心の意を体せば 現世はいよいよ地獄とや云わん 虚無とや云わん ただ滅亡の世迫るを共に住むのみか こゝに於いて われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す

                    (熊本無量山真宗寺御遠忌のために)

八月は鎮魂の月。
石牟礼道子さんの著書を取り出して、ページを繰る夜がある。
どれだけ繰り返し読んだら、ひそむ思いの底に触れられるのだろうかと思う。それでも、しみじみと心打たれるのを感じながら読み返す。
あれこれの情報やうすっぺらな知識を取り込んだ私には、深みにある人間の心を読み取る力は弱いのかもしれない。

「いくら言葉をつくしましても、人間のその一番深い奥の方にある気持ちの動きは、ほんとうは言葉では表せない。生きているものたちの魂を表現することは難しいと思うんですね」


中でも繰り返し読む「花を奉るの辞」(『花をたてまつる』収)。
 〈われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す〉   



孫のLと遊んでいた公園で見つけた花の種。てっきりアサガオのタネだと思ってもらい受けたのだけど。
一人ばえに支えを施しておいたら、直径4センチに満たない花が咲いた。

コメント (2)
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